...一番目の『積(つも)る怨切子燈籠(うらみきりこどうろう)』という半世話物の仇討劇(あだうちげき)も二番目の何とか太平記といった大塔宮(だいとうのみや)の吉野落(よしのおち)を材とした一幕物も皆水蔭の書卸(かきおろ)しであった...
内田魯庵 「硯友社の勃興と道程」
...それで別に自分の新作史劇『増補太平記』大塔宮十津川落に片岡八郎討死といふのを...
江見水蔭 「硯友社と文士劇」
...大塔宮(眉山)玉置半九郎(小波)野長瀬六郎(水蔭)同七郎(虚心)片岡八郎(思案)赤松則祐(漁山)村上義光(柳蔭)芋瀬勇七(露紫)二番目では...
江見水蔭 「硯友社と文士劇」
...大塔宮(だいとうのみや)社務所...
高浜虚子 「六百句」
...また一方に同氏の調べた中に大塔宮護良(だいとうのみやもりなが)親王の兜の前立が楠公の兜の前立と同様なものであろうという考証が付いたのです...
高村光雲 「幕末維新懐古談」
...明治二十三年の博覧会に大塔宮を作って出品し好評であった...
高村光雲 「幕末維新懐古談」
...それから太平記の大塔宮(だいとうのみや)熊野(くまの)落ちの条下に出て来る竹原八郎の一族...
谷崎潤一郎 「吉野葛」
...―――大塔宮のご子孫の女王子(おんなみこ)などにしてもいいが...
谷崎潤一郎 「吉野葛」
...修羅(しゅら)かれがために破らると……」大塔宮(だいとうのみや)の昔をしのぶにはちょうどよい土地である...
中里介山 「大菩薩峠」
...大塔宮(だいとうのみや)がただいまこの中から御脱出になったままのように...
中里介山 「大菩薩峠」
...大塔宮の久米正雄邸へお見舞に...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...すでに日高郡には大塔宮が熊野落ちのおり経過したまえる御遺蹟多かりしも...
南方熊楠 「神社合祀に関する意見」
...三寸の中に大彫刻あり象牙彫の名人山田鬼斎の遺作上野公園の博物館に大塔宮御木像をはじめ数点の傑作を遺した彫刻家山田鬼斎氏はまれに見る天才肌...
山本笑月 「明治世相百話」
...大塔宮護良(だいとうのみやもりなが)親王の戦勝祈願をこめらるる大炉(たいろ)となり帷幕(いばく)の密議所となり...
吉川英治 「宮本武蔵」
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