...屠琴塢は多くの物を玩賞したが...
薄田泣菫 「石を愛するもの」
...その屠琴塢は、持病の一つも持つてゐるぐらゐの人だつたから、医者には内証で、自分の病に好く利く合薬(あひぐすり)を知つてゐて、保養のひまびまにはいつもそれを調合して服用してゐたものだ...
薄田泣菫 「独楽園」
...ここに前時代の遺址たる菊塢が廃園の如何を論じようという心にはなろう筈がない...
永井荷風 「百花園」
...文化年間に至って百花園の創業者佐原菊塢(さわらきくう)が八重桜百五十本を白髭神社の南北に植えた...
永井荷風 「向嶋」
...今この句の外に枯野の月を詠ずる者を挙げんに月も今土より出づる枯野かな雨什(うじゅう)松明(たいまつ)は月の所に枯野かな大甲(たいこう)昼中に月吹き出して枯野かな金塢(きんう)三句おのおの巧拙ありといへども...
正岡子規 「俳諧大要」
...菊塢は北平(きたへい)と呼ばれて陸奥国の産(うまれ)であつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...其文字を忌んで菊塢に作つたのだと云ふ...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...俳句を吟じては仙塢(せんう)と云い...
森鴎外 「細木香以」
...また俳諧をもして仙塢(せんう)と号した...
森鴎外 「細木香以」
...梅干も候ぞ」と百花園の鞠塢(きくう)が風流も昔のこと...
山本笑月 「明治世相百話」
...自分の一族を塢城において...
吉川英治 「三国志」
...塢城(びうじょう)へお還りある日は...
吉川英治 「三国志」
...どんな気もちで塢(びう)の城へいったろう」彼は...
吉川英治 「三国志」
...そうでしたか」「董太師(とうたいし)が塢へお還りと聞いたので...
吉川英治 「三国志」
...「塢(びう)の逆臣が参ったり...
吉川英治 「三国志」
...塢には、郭(かくし)、張済(ちょうさい)、李(りかく)などの大将が一万余の兵を擁して、留守を護っていたが、「董太師には、禁廷において、無残な最期を遂げられた」との飛報を聞くと、愕然、騒ぎだして、都の討手が着かないうちに、総勢、涼州(りょうしゅう)方面へ落ちてしまった...
吉川英治 「三国志」
...塢の城中へ乗込んだ...
吉川英治 「三国志」
...塢城の幽室に監禁されたまま...
吉川英治 「三国志」
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