...其處まで歩かうと堀端傳ひに歩き出して...
徳田秋聲 「媒介者」
...堀端の青草の上や...
ボードレール 富永太郎訳 「酔へ!」
...堀端の諸邸の壁の白さ...
直木三十五 「南国太平記」
...子は半蔵門外に居を構へおのれは一番町なる父の家(いえ)に住みければ新聞社の帰途堀端を共に語りつつ歩みたる事度々なりき...
永井荷風 「書かでもの記」
...その頃東京では欧米の公使が威風堂々と堀端を乗り歩く馬車と同じようなので...
永井荷風 「十九の秋」
...市(いち)ヶ谷(や)本村町(ほんむらちょう)の貸間からぶらぶら堀端(ほりばた)を歩み見附外(みつけそと)から乗った乗合自動車を日比谷(ひびや)で下りた...
永井荷風 「つゆのあとさき」
...」二人は夜ふけの風の涼しさと堀端のさびしさを好い事に戯れながら歩いて新見附(しんみつけ)を曲り...
永井荷風 「つゆのあとさき」
...君江の家はあの広告のついたり消えたりしている横町だと思うと、一昨日から今夜へかけてまず三日ほど逢わないのみならず、先刻(さっき)富士見町で芸者から聞いたはなしも思い出されるがまま、とにかくそっと様子を窺(うかが)って置くに若(し)くはないと思定め、堀端を歩いて、いつもの横町をまがった...
永井荷風 「つゆのあとさき」
...水を隔てた堀端の道とには電車が絶えず往復しているが...
永井荷風 「つゆのあとさき」
...丁度現在目の前に横(よこたわ)っている飯田橋(いいだばし)から市ヶ谷見附に至る堀端一帯の眺望をいつもその背景にして進展していた...
永井荷風 「つゆのあとさき」
...」君江は堀端から横町へ曲る時...
永井荷風 「つゆのあとさき」
...代助は堀端(ばた)へ出(で)た...
夏目漱石 「それから」
...草臥(くたびれ)る所まで堀端を伝って行く気になった...
夏目漱石 「それから」
...おれは一人で堀端にいた...
山本周五郎 「あだこ」
...堀端の白く乾いた道の上で...
山本周五郎 「五瓣の椿」
...「あのとき友達のところへゆくまえに、茶を一杯啜るだけでも、考えが変ったかもしれない、堀端を歩くとか、絵を眺めるとか、ほんのちょっと気をしずめてからにすれば、事情はまったく変っていたかもしれません、そうでなくとも、あの少年時代の、うしろからついて来る足音、落葉を踏みながらついて来た足音や、友達の云ったあの言葉を思いだすだけでもよかったのです」老人はどこを見るともない眼つきで、明けてくる河原の向うを見まもった、「あやまちのない人生というやつは味気ないものです、心になんの傷ももたない人間がつまらないように、生きている以上、つまずいたり転んだり、失敗をくり返したりするのがしぜんです、そうして人間らしく成長するのでしょうが、しなくても済むあやまち、取返しのつかないあやまちは避けるほうがいい、――私がはたし合を挑んだ気持は、のっぴきならぬと思い詰めたからのようです、だが、本当にのっぴきならぬことだったでしょうか、娘一人を失うか得るかが、命を賭(か)けるほど重大なことだったでしょうか、さよう、……私にとっては重大だったのでしょう、家名も親も忘れるほど思い詰め、はたし合の結果がどうなるかを考えるゆとりさえなかったのですから」「どんなに重大だと思うことも、時が経ってみるとそれほどではなくなるものです」と老人は云った、「家伝の刀ひとふりと、親たちの位牌(いはい)だけ持って、人の家の裏に立って食を乞い、ほら穴や橋の下で寝起きをしながら、それでもなお、私は生きておりますし、これはこれでまた味わいもあります、そして、こういう境涯から振返ってみると、なに一つ重大なことはなかったと思うのです、恋の冷える時間はごく短いものでしたし、友の出世もさしたることではない、友達はその後さらに出世をしたでしょう、ことによると城代家老になったかもしれませんが、いまの私には羨(うらや)む気持もなし、特に祝う気持もない、ただひとつ、思いだすたびに心が痛むのは、あのはたし合で友を斬ったことです...
山本周五郎 「橋の下」
...それから汐止(しおどめ)の堀端へいった...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...堀端(ほりばた)伝いに桝(ます)小屋の自宅に帰ると...
夢野久作 「斬られたさに」
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