...垂井の次が関ヶ原で一里半ということだから...
中里介山 「大菩薩峠」
...こういう空気の中を米友が垂井の宿を抜けきる時分に...
中里介山 「大菩薩峠」
...垂井からこっちへの流言蜚語(りゅうげんひご)の火元はこれだな!東は水戸様が出馬し...
中里介山 「大菩薩峠」
...前の場の石田との会見から垂井へ戻るにしては...
中里介山 「大菩薩峠」
...この美濃の国の垂井の宿まで来た時分に...
中里介山 「大菩薩峠」
...垂井は、美濃路と木曾路の振分け路――垂井の泉をむすんで、さあ、これから関ヶ原を越えて近江路と、心を定めて宿をとったその晩に、巷(ちまた)で風説を聞きました...
中里介山 「大菩薩峠」
...美濃路をついに垂井(たるい)の宿まで来てしまったのが...
中里介山 「大菩薩峠」
...追躡して來た足利勢を美濃垂井に逆撃し...
原勝郎 「日本史上の奧州」
...行くての美濃路は――不破(ふわ)、関ヶ原、垂井、青野原――すべて敵勢で充満していた...
吉川英治 「私本太平記」
...美濃の垂井(たるい)ノ宿(しゅく)まで来て...
吉川英治 「私本太平記」
...「佐屋桑十というか」「はい」「美濃の不破郡の産か」「垂井(たるい)の在でござる」「では...
吉川英治 「新書太閤記」
...垂井(たるい)の附近で...
吉川英治 「新書太閤記」
...「二十人は、垂井(たるい)、関ヶ原、藤川、馬上(まけ)、長浜のあいだ、行く先々の村民に触れて、日暮れなば、松明(たいまつ)を道々に灯(とも)しおくこと...
吉川英治 「新書太閤記」
...長松、垂井、関ヶ原――道が、山間にかかると、徒歩の士は遅れがちになり、代って、騎馬の者が追いぬいてゆく...
吉川英治 「新書太閤記」
...垂井の国分寺に行って...
吉川英治 「鳴門秘帖」
...美濃へ入って垂井(たるい)の国分寺へもやがて近くなった...
吉川英治 「鳴門秘帖」
...垂井(たるい)まで行けば...
吉川英治 「鳴門秘帖」
...垂井(たるい)の宿(しゅく)と思われる方角へ...
吉川英治 「宮本武蔵」
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