...伯夷(はくい)伝を読んで感激したる徳川光圀(とくがわみつくに)の如きは...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...処士では色川圀士氏村岡良弼氏などである...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...水戸の光圀公(みつくにこう)が発明だなんていうが...
中里介山 「大菩薩峠」
...元祿三年に光圀は致仕し...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...主家に於ては義公光圀が致仕し...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...光圀が国許にいるあいだは...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...源光圀公(みなもとのみつくにこう)ご一人(いちにん)にかぎっては当然とは申されぬ...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...莫大な費用を要するであろうこと――)光圀は...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...むしろ、嫡子の光圀が、大言したことばや、抱いている途方もない夢にも似た事業の性質を聞くと、(そうか...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...年に一度のことなので、膳部の係りも、初めのうちは、よくこんな失態を演じたが、後々には、光圀の親思いが、家臣の個々の心にも沁み入って、決して忘れなくなった...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...碑の正面は光圀の「嗚呼(ああ)忠臣楠子之墓(ちゅうしんなんしのはか)」の八文字でよいとしても碑陰(ひいん)の文がないのはさびしいといって...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...光圀の国策はよろこばなかった...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...光圀は折ふし那珂(なか)の賓閣(いんひんかく)にいたので...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...いま光圀の気脈がみだれてはなるまい...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...光圀も対して坐った...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...源光圀(げんみつくに)字(あざな)は子龍(しりゆう)...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...光圀(みつくに)の終りのものとなるであろう...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...光圀は床几(しょうぎ)のまま料紙を把(と)って...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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