...また徳川光圀は、数奇な道に遊ぶと、器物の慾が出るものだといって、折角好きな茶の湯をも、晩年になってふっつりと思いとまったということだ...
薄田泣菫 「艸木虫魚」
...水戸の如きも光圀の当時より早くもその臭味(しゅうみ)を帯び...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...水戸の光圀(みつくに)だ――百八神尾主膳の頭の中にまたしても...
中里介山 「大菩薩峠」
...元祿三年に光圀は致仕し...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...光圀は二男たる自分が家を継いだことに非常な慚愧(ざんき)を感じ自分の嗣子には高松の松平を継がせ...
山本周五郎 「新潮記」
...光圀も梅が好きだつたんでせうが...
吉川英治 「折々の記」
...六月初め京都の本圀寺(ほんごくじ)へ行って食を断っていたが...
吉川英治 「日本名婦伝」
...――いやそれよりもっと光圀として忘れがたいことは...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...源光圀公(みなもとのみつくにこう)ご一人(いちにん)にかぎっては当然とは申されぬ...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...……産(う)むなよ、ひそかに水にして、流産(なが)してくれよ……と、泣いていいふくめ、江戸のやしきより水戸の三木仁兵衛(みきにへえ)が家に身を預けられたものじゃ」「お産まれあそばす時から、ふしぎなご運命でございましたの」「まこと、この光圀は、ひとの象(かたち)をそなえぬうちに、闇から闇へ、ながれ去る身であった...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...五寛永二十年――光圀が十六歳の八月であった...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...詰寄らんばかり光圀を凝視していった...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...光圀の思慮がわるいのでは決してない...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...その親にして光圀があったといえよう...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...光圀は、自分の誕生日には、かならず梅干と粥ですましていた...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...……前中納言光圀卿(さきのちゅうなごんみつくにきょう)こそは...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...光圀は行くぞ」「――とは申せ...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...光圀もやや声をふるわせて...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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