...無論(むろん)帝国臣民たる以上は万世一系の帝室を中心としなければならぬ...
大隈重信 「始業式訓示」
...かたがた留学地としては大使館当局としても英国臣民たる太子の御自省に待って第一に英本国をお勧めしたいけれども...
橘外男 「ナリン殿下への回想」
...アメリカにおける英国臣民の会議から………… 一七七五年の七月にアメリカにおけるイギリス植民地の住民から「代議士選出権なき課税」に対してイギリス本国に抗議して来たことをさす...
チャールズ・ディッケンズ 佐々木直次郎訳 「二都物語」
...四に英国臣民保護には兵力を用うるも可なりとの主義に至当の区域を立つべし...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...西洋人ですらくるくらいなら帝国臣民たる吾輩(わがはい)は無論歓迎しなくてはならん...
夏目漱石 「趣味の遺伝」
...平野国臣(ひらのくにおみ)だの同志と逢い...
服部之総 「志士と経済」
...結果として国臣も雲浜同様...
服部之総 「志士と経済」
...そこで国臣が雲浜張りで立案した新規のプランは...
服部之総 「志士と経済」
...月照入水に立会って一躍名を成した平野国臣も...
服部之総 「志士と経済」
...早速連島から見本を兼ねた綿と糸を積んで国臣も乗込んで...
服部之総 「志士と経済」
...はては三宅の鉄物店の番頭宮崎司(つかさ)――と国臣は変名していた――の正体まで洗われそうになったので...
服部之総 「志士と経済」
...安政六年暮から改めて白石の店に腰を据えた国臣は...
服部之総 「志士と経済」
...桜田義挙が、そのとたんに、竹崎の国臣、白石のところへ持ちこまれたのである...
服部之総 「志士と経済」
...来月二十日前後を期して大老を斬ることはもっぱら水戸側がひきうける、薩藩側はその機会に京都に大挙出兵するという最初の江戸案が薩摩で修正されて、薩藩だけでなく筑前藩も協力して京都に出兵させようということになり、国臣に、筑前を動かす役が振られたのである...
服部之総 「志士と経済」
...国臣既往一年間「屡々(しばしば)利貨を失」った経済戦線と結びつけられている点妙味がある...
服部之総 「志士と経済」
...義挙事済みの風聞は白石国臣同道で馬関へ引揚げた翌日の十八日になって達した...
服部之総 「志士と経済」
...春山育次郎氏『平野国臣伝』のごとく三月二十日とする方が正しい...
服部之総 「志士と経済」
...平野国臣(ひらのくにおみ)や...
吉川英治 「脚」
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