...追つて因幡(いなば)の國に越えて行き...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...先年諏訪因幡守殿(すわいなばのかみどの)が人足どもに困らせられたという渡しはこれか」「あれ以来...
中里介山 「大菩薩峠」
...禪宗の山陰道に落莫なるは、淨土宗の場合と同じである、して見れば、丹後、但馬、因幡、伯耆の四ヶ國は、京都から左程遠くないにも拘はらず、鎌倉時代には天然の不便から、自ら別境をなして居て、一般に注意を惹く度に於て、奧州などにすら及ばなかつたのかも知れぬと思はれる、唯山陰道に於て禪僧の活動として見るに足るものは、法燈國師の弟子の三光國師の、鎌倉時代の末に出雲に活動したことのみである、山陽道は京都から九州に通ずる大道であるけれども、淨土宗の場合に於て見えたと同樣、當時は九州に赴くに主として海路を利用したものゝ如くで、播磨を除いて、其以西備中までは、あまり禪宗の影響を受けて居らず、備後以西に於て始めて其痕跡を見る、三光國師も淨土僧と同樣備後から出雲へ入つたらしい、宗派から云へば播磨には臨濟も曹洞も混入して居るけれど、備後以西は臨濟のみであつた...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...しかし因幡や伯耆に眞宗が殆ど入らなかつたのは...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...その書写または朗読したものを列挙するのは、当時の好尚を示すに足ると思うから、今繁を厭(いと)わずしてこれを掲げると、先ず絵巻の種類では『山寺法師絵巻』、『本願寺曼陀羅縁起』、『石山寺縁起』、『誓願寺縁起』、『因幡堂縁起』、『みしまに絵詞』、『源夢絵詞』、『春日権現霊験絵詞』、『東大寺執金剛絵詞』、『石地蔵絵詞』、『翻邪帰正絵詞』、『石山絵詞』、『介錯仏子絵詞』、『三宝絵詞』、『弘法大師絵詞』、『北野縁起絵詞』等で、このほかに書いたでもなく、また読んだでもなく、勅命によって一見を仰せつけられたものは数々あった...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...山陰道(さんいんどう)は丹波(たんば)、丹後(たんご)、但馬(たじま)、因幡(いなば)、伯耆(ほうき)、出雲(いずも)、石見(いわみ)の七ヵ国でこれに隠岐(おき)の島が加わります...
柳宗悦 「手仕事の日本」
...△出雲國宍道湖、中の海は共に一の潟に過ぎず 但馬以西はまだ踏査しない地方だから、地圖に就て調査するより外はないのですが、同種の潟も隨分多い樣で、因幡、石見にも漸次小さい潟はありますが、殊に著しいのは出雲の海で、宍道湖は湖といひ、中の海は海といつて居ります...
柳田國男 「潟に關する聯想」
......
柳田國男 「祭禮名彙と其分類」
...(ホ)谷方・渡方因幡(いなば)八頭(やず)郡河原村大字谷一ツ木及び渡(わたり)一(ひと)ツ木(ぎ)...
柳田國男 「地名の研究」
...因幡八頭(やず)郡社(やしろ)村大字樟原(くにぎはら)...
柳田國男 「地名の研究」
...あるいは因幡(いなば)などに何々島という特殊部落があり...
柳田國男 「地名の研究」
...たとえば『因幡志(いなばし)』の今の岩美郡倉田村大字蔵田の条に...
柳田國男 「地名の研究」
...待ち伏せしたと申した方が当っておるやも知れん」因幡守の諧謔(かいぎゃく)に...
吉川英治 「大岡越前」
...主君の信長の従兄弟(いとこ)にあたる名古屋因幡守から...
吉川英治 「新書太閤記」
...信長の従兄弟(いとこ)因幡守(いなばのかみ)が...
吉川英治 「新書太閤記」
...どうして因幡守(いなばのかみ)様が...
吉川英治 「新書太閤記」
...因幡(いなば)の所領も惜しと思わば...
吉川英治 「新書太閤記」
...因幡(いなば)の鹿野城に拠(よ)っていたものである...
吉川英治 「新書太閤記」
便利!手書き漢字入力検索