...そこから因幡(いなば)...
鈴木三重吉 「古事記物語」
...しかし因幡や伯耆に眞宗が殆ど入らなかつたのは...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...時方の叔父(おじ)の因幡守(いなばのかみ)をしている人の荘園の中に小さい別荘ができていて...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...「因幡紙(いなばがみ)」の名で知られ...
柳宗悦 「手仕事の日本」
...故郷は因幡である...
柳宗悦 「和紙十年」
...因幡八頭(やず)郡社(やしろ)村大字樟原(くにぎはら)...
柳田國男 「地名の研究」
...また『因幡志』にも今の岩美(いわみ)郡三戸古(みとこ)村大字古郡家(ここおげ)を郡家の義なりとし大郡には二所以上の郡家があったものだと説いている...
柳田國男 「地名の研究」
...『因幡志』の時代までは高下と書いたらしくある...
柳田國男 「地名の研究」
...広島県双三(ふたみ)郡作木村岡三淵)因幡国(いなばのくに)の山奥の村にも...
柳田國男 「日本の伝説」
...備前因幡国換(くにが)への時節にて...
柳田国男 「山の人生」
...鉄淵は、先師の遺(のこ)した大蔵経開版のため、幕府へ嘆願のことがあって、しばしば寺社奉行の因幡守の私邸をも訪れ、因幡守も、かれに帰依(きえ)していた関係から、自然、越前守のうわさも出、前々から、ふたりは、その問題について、心配し合っていた間であった...
吉川英治 「大岡越前」
...――秀吉は新城にくつろく遑(いとま)もなく、またすぐ軍をすすめて、因幡(いなば)、伯耆(ほうき)の国境に転戦した...
吉川英治 「黒田如水」
...お媒人(なこうど)たる名古屋因幡守(なごやいなばのかみ)は主筋であり大身(たいしん)に過ぎるので...
吉川英治 「新書太閤記」
...名古屋因幡守(いなばのかみ)の臣で...
吉川英治 「新書太閤記」
...因幡守も大いに満足して...
吉川英治 「新書太閤記」
...名古屋因幡守(なごやいなばのかみ)も...
吉川英治 「新書太閤記」
...播磨(はりま)、因幡(いなば)、但馬(たじま)に散陣していた秀吉の麾下(きか)は、二月中に、はやくも姫路に集合を命ぜられていた...
吉川英治 「新書太閤記」
...……そのまま手切れとなっては困ることになったのだ」官兵衛の方へ眼を向けて、「安国寺恵瓊は初めて、往年の知縁をたよって、彦右衛門を訪れて参り、二度目には、その方の陣屋へも行ったのではなかったか」「左様でした」「その方のところまでは、どのように云っていたか」官兵衛は、秀吉の問いに答えて、「やはり彦右衛門殿を介して、申し入れて来た条件とひとつに過ぎませぬ」「――と、いうと?」「つまり……毛利方から提示して来た条件というのは、この際、媾和(こうわ)するならば、備中(びっちゅう)、備後(びんご)、美作(みまさか)、因幡(いなば)、伯耆(ほうき)の五ヵ国を割譲(かつじょう)しよう...
吉川英治 「新書太閤記」
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