...四道人(どうじん)は薄赤い絹を解いて...
芥川龍之介 「奇怪な再会」
...御媒妁人(おなこうど)でも食って行(ゆ)かれる……二十四道学先生の...
泉鏡花 「婦系図」
...將軍の派遣――いわゆる四道將軍の派遣の物語...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...四道太はすっかり御輿(みこし)をすえてしまった...
徳田秋声 「挿話」
...其の成功は武力を用ひたる四道將軍にも比すべければ...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...或有二背叛一(崇神紀六年の語)により、神祇を崇敬せしこと、武埴安彦の叛、四道將軍の出征、狹穗彦の亂などに當る者とせんには、其間五六十年にして、長短頗る當を得る者の如し...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...四道将軍時代の絵に見るような鎧(よろい)をつけた髯男(ひげおとこ)が一人...
中里介山 「大菩薩峠」
...四道将軍時代を思わせるような鎧はいいが...
中里介山 「大菩薩峠」
...四道将軍のような鎧武者(よろいむしゃ)がしょって...
中里介山 「大菩薩峠」
...十四道庵先生も、人間は引揚げ時が肝腎だ、ぐらいのことはよく知っておりました...
中里介山 「大菩薩峠」
...そこで四道将軍をおいた...
蜷川新 「天皇」
...四道、交通の要衝にあたり、南方とは、貿易を営むの利もあり、北方からも、よく資源を求め得るし、いわゆる天府の地ともいいましょうか...
吉川英治 「三国志」
...北方、陝西省(せんせいしょう)へ出るには有名な剣閣の嶮路を越えねばならず、南は巴山(はざん)山脈にさえぎられ、関中に出る四道、巴蜀へ通ずる三道も嶮峻巍峨(けんしゅんぎが)たる谷あいに、橋梁をかけ蔦葛(つたかずら)の岩根を攀(よ)じ、わずかに人馬の通れる程度なので、世にこれを、「蜀の桟道(さんどう)」と呼ばれている...
吉川英治 「三国志」
...いつか四道(どう)の糧道(りょうどう)をふさがれ...
吉川英治 「私本太平記」
...四道の風は悉(ことごと)く...
吉川英治 「新書太閤記」
...四道八通の利があった...
吉川英治 「新書太閤記」
...これで梁山泊四道の見張りはまず充分だろうから...
吉川英治 「新・水滸伝」
...四道将軍時代の古墳群だの...
吉川英治 「随筆 新平家」
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