...嘉永(かえい)それの年に鐫(ゑ)られたる本所絵図(ほんじよゑず)をひらきたまはば...
芥川龍之介 「臘梅」
...日本が嘉永六年亞米利加のペルリに迫られていや/\ながら國を開いたのでありますが...
竹越與三郎 「日本の眞の姿」
...弘化、嘉永以後、特に安政の開港以後は、當時の日本にとつて、何よりも船だつたと察することができる...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...殊に嘉永六年以來は非常に多忙で...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...彼は十九世紀後半(嘉永以後)に輩出したる多数の浮世絵師の如きは全くこれを顧みざりしといへども決して一派一流の画家にのみ偏する事なく広く各派の一般を見しかして後(のち)常に見識ある美術史家のなすが如く各流派の中(うち)よりその代表者と見るべき比較的少数の画家を選び出(いだ)せり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...英泉は嘉永(かえい)元年に歿せり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...嘉永三年頃に大久保豊後守忠恕(ただよし)という人が幕府の大目附になっていた事を知った...
永井荷風 「深川の散歩」
...〔大詰〕第一場 柳橋水熊横丁嘉永二年の秋やや深き頃――前の幕の翌年...
長谷川伸 「瞼の母 二幕六場」
...雲浜が藩の忌諱(きい)にふれて素浪人になったのは嘉永五年でこの年長女竹子についで長男繁太郎が生れ...
服部之総 「志士と経済」
...これによってこれを観る時はこの化石の語は早くも今を距る八十六年前の嘉永四年(1851)に出来たものである事が知られる...
牧野富太郎 「植物記」
...嘉永元戊申年十二月六日卒...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...榛軒の歿した嘉永壬子には三十二歳であつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...嘉永元年十月十六日である...
森鴎外 「渋江抽斎」
...嘉永四年には、二月四日に抽斎の三女で山内氏を冒していた棠子(とうこ)が、痘を病んで死んだ...
森鴎外 「渋江抽斎」
...嘉永元年に八十歳で歿した壽阿彌自身が...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...歳旦の句は嘉永元年正月朔(ついたち)の作である...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...嘉永五年に池辺啓太(いけべけいた)が熊本で和蘭(おらんだ)の砲術を教へた時...
森鴎外 「津下四郎左衛門」
...嘉永三年戌二月十六日生る...
夢野久作 「梅津只圓翁伝」
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