...嘉門次(かもんじ)父子の他にはあるまいと思って...
鵜殿正雄 「穂高岳槍ヶ岳縦走記」
...海抜約二千米突(メートル)以上は、雑木次第に減じ、ミヤマカンバ、ミヤマハンノキ、ミヤマナナカマド等の粗く生えたる土地、ここをぬけると上宮川原(かみみやがわら)「信濃、上宮川原、嘉門次」、左の方数丁には、南穂高の南東隅に当る赭(しゃ)色の絶嶂(ぜっしょう)...
鵜殿正雄 「穂高岳槍ヶ岳縦走記」
...この種類の女は遠く新嘉坡(シンガポール)や濠洲(ごうしゅう)あたりまでも...
徳田秋声 「縮図」
...しかし二月七日に浦賀奉行組頭黒川嘉兵衞は...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...嘉永三年頃に大久保豊後守忠恕(ただよし)という人が幕府の大目附になっていた事を知った...
永井荷風 「深川の散歩」
...嘉永六年にはじめて浦賀の港へやって来て...
中里介山 「大菩薩峠」
...嘉納さんが旨(うま)い事をいう...
夏目漱石 「処女作追懐談」
...嘉七お紺の仕事を助ける...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...ただもうお嘉代の世にも稀(まれ)なる吝嗇(りんしょく)に愛想を尽かし...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...嘉村さんは私の「あひびき」といふ小品をたいへん好いてゐてくれました...
堀辰雄 「嘉村さん」
...また勢いがいいのでとうとう臆(おく)してしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに...
宮沢賢治 「風の又三郎」
...嘉助が、「又三郎、水泳ぎに行がないが...
宮沢賢治 「風の又三郎」
...○嘉義市施青江製作の楹籃(えいらん)うまいものだね...
柳宗悦 「台湾の民藝について」
...故に之を名づけて目利真角嘉和良(めりまつのかわら)と謂ふ...
柳田国男 「山の人生」
...小出辰弥 井伊家の臣牧田数馬 大久保家の臣村野伊平 二の丸大目付与力林市郎兵衛 小普請組斧田又平 同沢野雄之助 同太田嘉助 八丁堀与力の二男梶原大九郎 町奉行与力添島公之進 同中谷兵馬 交代寄合の四男この内...
山本周五郎 「風流太平記」
...用人の嘉平が来て...
吉川英治 「大岡越前」
...御多忙のなかを嘉治隆一氏がたんねんに編纂その他の労をとってくだすったもので...
吉川英治 「随筆 新平家」
...嘉治さんや健吉さんの顔を指していう...
吉川英治 「随筆 新平家」
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