...余(よ)も亦(また)是(これ)に嗣(つ)ぐ...
京山人百樹 「北越雪譜」
...このまま後を嗣(つ)がせなければならないという...
中里介山 「大菩薩峠」
...十一月二十七日●昭和二十一年十二月十六日 大森区馬込末田方より 広島市幟町 原信嗣宛永らく御無沙汰してゐましたが御変りございませんか...
原民喜 「書簡」
...今日もインドで吝嗇漢(しわんぼう)嗣子なく...
南方熊楠 「十二支考」
...彼らが人間第一の義務と心得た嗣子を生ましむる事受け合いてふ霊物と確信され...
南方熊楠 「十二支考」
...寛政十一年に狩谷氏で斎が家を嗣いだ...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...茶山の養嗣子である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...次が広島頼宗家の継嗣余(よ)一元協(げんけふ)代末森三輔であつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...継嗣順序より云へば其孫に当る人である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...杏春が継嗣を辞したのである...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...榛軒は蘭軒の継嗣であるのに...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...直養の嗣は、仁杉氏の言(こと)に拠るに、又元泰と称したらしい...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...それから間もなく老先生は私を高林家の後嗣(あとつぎ)にきめられて披露をされた...
夢野久作 「あやかしの鼓」
...字(あざな)は公嗣(こうし)...
吉川英治 「三国志」
...丹後田辺(たんごたなべ)に大泉寺を開いた戦国の傑僧(けっそう)琢堂(たくどう)の法嗣(ほうし)の一人であった...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...世嗣(よつぎ)はなり難しなどと...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...後嗣親貫は直ちに府内進撃の態勢を示した...
和辻哲郎 「鎖国」
...昭和七年に村岡典嗣(むらおかつねつぐ)氏は「枕草子と徒然草」(続日本思想史研究...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
ランダム例文:
不換紙幣 これ以上残念なことはない 付注
便利!手書き漢字入力検索