...旅順から営口(えいこう)を経て北京(ペキン)へ行った...
内田魯庵 「二葉亭四迷の一生」
...検事は重ねて之を警察に送ってやると再び警察は之を営口領事館へ返送して来た...
戸坂潤 「社会時評」
...しまいには黄色い文字で書いた営口丸(えいこうまる)の三字さえ明(あきら)かに読めるようになった...
夏目漱石 「満韓ところどころ」
...やがて余の船の頭が営口丸の尻より先へ出た...
夏目漱石 「満韓ところどころ」
...余の船は全く営口丸を乗り切る事ができそうに思われた...
夏目漱石 「満韓ところどころ」
...海の水を細い谷川のように仕切って、営口丸の船体が、六尺ほどの眼の前に黒く切っ立った時は、ああ打(ぶ)つかるなと思った...
夏目漱石 「満韓ところどころ」
...営口丸の船員は手を拍(う)ってわあと囃(はや)し立(た)てた...
夏目漱石 「満韓ところどころ」
...そのくせ営口でまた頼まれると早速...
夏目漱石 「満韓ところどころ」
...今日の午(ひる)は営口で正金銀行の杉原君の御馳走(ごちそう)を断った...
夏目漱石 「満韓ところどころ」
...営口に来て酔った晩に話した...
森鴎外 「鼠坂」
...満州の牛荘(ニュウチャン)と営口(エイコウ)の間で斥候に出され...
柳田国男 「故郷七十年」
...営口から南は巨済島...
夢野久作 「爆弾太平記」
...良人の歌に見ゆる山みな青けれど児を望む山のみ寒し野の中にして満洲の柳のなかに児を望む山はあれども東京遠し私の此地で詠んだ歌の中に母立ちて望小山に見しと云ふその都より遠き我子ら営口満鉄本線の大石橋駅で営口支線に乗換へて営口へ来た...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...清末に鎮海営と云ふ官署を置いたので「営子口」と名づけた地名が営口と略称せられたのである...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...営口は此の河口より十四浬の上流に在り...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...営口の前の河幅は二五〇〇呎...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...営口から一日に二回小汽船がその汽車に連絡し...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...遠く来て熊岳河の砂の湯に打任(うちまか)せたる我が心かな見ゆる山みな青けれど子を望む山のみ寒し野の上にして東京に子らを置きたる心をも悲しくぞする望小(ぼうせう)の山満洲の柳のなかに子を望む山はあれども東京遠し野のうへの望小山(ぼうせうざん)の裸(はだか)をものどかにしたる柳と朝日あてもなく飛ぶ心をば抑(おさ)へつつ濡れたる沙に下(お)りきぬ柳絮営口にて...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
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