...安徳天皇は、『吾妻鏡』に登場する...
...物語は必ずしも吾妻鏡の本文のとおりではない...
太宰治 「鉄面皮」
...併しながら其吾妻鏡なるものも...
原勝郎 「足利時代を論ず」
...成る程足利時代には吾妻鏡ほどに重寶な記録のないことは事實であるけれど...
原勝郎 「足利時代を論ず」
...吾妻鏡は果して純粹の日記なるや否や星野博士の吾妻鏡考にも文體ヲ審ニスルニ前後詳略アリ前半ハ追記ニシテ後半ハ逐次續録セシニ似タリとありて徹頭徹尾純粹の日記にあらざることは博士既にこれを云はれたり...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...然而猶以不宥之云々五月三日の條と同五日の條とは若吾妻鏡が一人の手に成りたる日記なりとせば...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...星野博士は吾妻鏡を評して叙事確實質ニシテ野ナラズ簡ニシテ能ク盡クス頼朝ノ天下經營ノ方略北條ノ政柄攘竊ノ心曲等描寫ニシテ其顛末を具備セリタヾ頼家變死ノ一事ハ曲筆ヲ免レズト雖...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...吾妻鏡之を明記せざれども...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...其他吾妻鏡に謀叛と記せる者の中には北條氏に對して何等の反抗の準備もなかりしもの少からざるは...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...若夫れ吾妻鏡所載の各事實の考證に至りては本論の主とする所にあらざるなり...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...日記は吾妻鏡を斥すのであらうが...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...「吾妻鏡」に書いてある...
武者金吉 「地震なまず」
...吾妻鏡によると、この飛脚が、鎌倉へ着いたのは、一月二十七日の未(ひつじ)ノ刻(こく)(午後二時)とあって、第一報が安田義定、次に、蒲冠者範頼、源九郎義経、一条忠頼といった順に、ほとんど同日に参着している...
吉川英治 「随筆 新平家」
...いまそれについて縷述(るじゅつ)する気もちはないが、壇ノ浦前後のことも、吾妻鏡、玉葉などの、わずか数行の当時のニュース、報告の類が、史実といえば史実といえる程度のもで、古典平家も時を経た伝聞であり、また、筆者の感情や創意も加わったものである...
吉川英治 「随筆 新平家」
...静の宿所へ、梶原景茂(かげもち)たちの若殿輩(ばら)が押しかけて、酒興のあげく、景茂が静へ、猥(みだ)らなまねに及び、かえって、静に面罵された事実は、吾妻鏡では、鶴ヶ岡の盛事があってから後日のことになっている...
吉川英治 「随筆 新平家」
...だから吾妻鏡に従うと...
吉川英治 「随筆 新平家」
...――おそらく、この風聞は、吾妻鏡の筆者が、およそな日の項に、後で書き入れたものにちがいない...
吉川英治 「随筆 新平家」
...これは、古典平家を初め、保元記、平治物語、吾妻鏡など、すべての筆者が、みな鎌倉期に書いたものであるという一事だけで、理由の説明は、充分につく...
吉川英治 「随筆 新平家」
...「栄花物語」「更級日記」「大和物語」「東鑑(吾妻鏡)」等々々...
吉川英治 「随筆 新平家」
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