...東京タワーは東京の名蹟の一つです...
...京都の名蹟、清水寺には多くの観光客が訪れます...
...この寺の本堂は国の名蹟に指定されています...
...名蹟をめぐるツアーに参加する予定です...
...名蹟の美しさに感動しました...
...東京のジオグラフィーを書くものは徳川三百年間随一の大文豪たる滝沢馬琴の故居の名蹟としてのこの中坂を特記する事を忘れてはならない...
内田魯庵 「硯友社の勃興と道程」
...王侯将相よりも文豪の尊敬される欧羅巴(ヨーロッパ)なら疾(とっ)くに日本の名蹟とし東京の名誉とし将(は)た飯田町の誇りとして手厚く保管し...
内田魯庵 「硯友社の勃興と道程」
...西湖十景だの三十六名蹟(めいせき)だの...
太宰治 「惜別」
...名蹟保存といふことがやかましく言はれるやうになつたので...
田山録弥 「百日紅」
...晉唐人の名蹟を見ることが比較的たやすく出來るので...
内藤湖南 「北派の書論」
...その姿を見ると、芝居でする法界坊の姿そのままですから、あほだら経でも唸り出したのかと見ればそうでもなく、謡(うたい)の調子――「秋も半ばの遊山舟、八景巡りもうらやまし、これはこのあたりに住む法界坊というやくざ者にて候、さざなみや志賀の浦曲(うらわ)の、花も、もみじも、月も、雪も、隅々まで心得て候、あわれ一杯の般若湯(はんにゃとう)と、五十文がほどの鳥目(ちょうもく)をめぐみ賜(たま)わり候わば、名所名蹟、故事因縁の来歴まで、くわしく案内(あない)を致そうずるにて候、あわれ、一杯の般若湯と、五十文の鳥目とをたびて給(た)べ候え、なあむ十方到来の旦那様方……」こんなことを謡の文句で呼びかけるものだから、どうしても舟の連中の耳障(みみざわ)りにならないわけにはゆきません...
中里介山 「大菩薩峠」
...名画名蹟の蒐集ぐらいでは芝居が仕足りない...
中里介山 「大菩薩峠」
...抑も金陵には名蹟勝景甚多く...
原勝郎 「貢院の春」
...熊楠撮(と)り置ける紀州諸名社濫滅名蹟亡滅の写真を示してこのことを論じたるのち...
南方熊楠 「神社合祀に関する意見」
...かかる名蹟を畑として米の四...
南方熊楠 「神社合祀に関する意見」
...名蹟の一に算すべきものであろう...
森鴎外 「渋江抽斎」
...此地の名蹟として絵葉書にもなつてゐる木である...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
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