...故右大将家の御帰依浅からざりし相模国の大日堂がひどく荒れはててゐるやうですから即刻修理させるやうお取計ひ下さい...
太宰治 「右大臣実朝」
...その橋の出来た時に故右大将家が供養に出むかれ橋をお渡りになつて...
太宰治 「右大臣実朝」
...十八日、戊戌、相州広元朝臣を招請して仰せられて云ふ、将軍家大将に任ずる事、内々思食し立つと云々、右大将家は、官位の事宣下の毎度、之を固辞し給ふ、是佳運を後胤に及ばしめ給はんが為なり、而るに今御年齢未だ成立に満たず、壮年にして御昇進、太だ以て早速なり、御家人等亦京都に候せずして、面々に顕要の官班に補任すること、頗る過分と謂ひつ可きか、尤も歎息する所なり、下官愚昧短慮を以て、縦ひ傾け申すと雖も、還つて其責を蒙る可し、貴殿盍ぞ之を申されざる哉と云々、広元朝臣答申して云ふ、日来此の事を思ひて、丹府を悩ますと雖も、右大将家の御時は、事に於て下問有り、当時は其儀無きの間、独り腸を断つて、微言を出すに及ばす、今密談に預ること、尤も以て大幸たり、凡そ本文の訓する所、臣は己を量りて職を受くと云々、今先君の遺跡を継ぎ給ふ計なり、当代に於ては、指せる勲功無し、而るに啻に諸国を管領し給ふのみに匪ず、中納言中将に昇り給ふ、摂関の御息子に非ずば、凡人に於ては、此儀有る可からず、争か嬰害積殃の両篇を遁れ給はんか、早く御使として、愚存の趣を申し試む可しと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...けれども右大将家は...
太宰治 「右大臣実朝」
...右大将家が決してこんなことをするはずがない...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...どうも右大将家ではない...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...右大将家でないとすると...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...右大将家のお傍附(そばづき)の女房であろうか...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...時平と共に菅公讒奏(ざんそう)の謀議に加わった右大将大納言定国が四十一歳を以て卒(しゅっ)し...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...「この畳紙の字は右大将の字です...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...右大将を始め伯父君(おじぎみ)たちが皆りっぱな顕官になっていて勢力のある人たちであったから...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...右大将が内大臣になった...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...右大将のは、恋する人の頼みにします八月もどうやら過ぎてしまいそうな空をながめて私は煩悶(はんもん)しております...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...当分世間へ知らせないようにしたい」と源氏からの注意はあっても、右大将は、恋の勝利者である誇りをいつまでも蔭(かげ)のことにはしておかれないふうであった...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...右大将はそれに少し遅れて自邸へ帰るのであった...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...大坂若江(わかえ)の合戦のときなどは身すでに大納言右大将という高位であったにかかわらず...
吉川英治 「新書太閤記」
...「右大将小松殿の御内(みうち)でも...
吉川英治 「親鸞」
...右大将宗盛の上に...
吉川英治 「随筆 新平家」
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