...「台湾総督」は、日本統治時代に台湾を統治した総督のことを指す...
...私の祖父は、台湾総督府で働いていたそうです...
...台湾総督は、台湾近代化のために多くの政策を実施しました...
...台湾総督府美術館では、日本統治時代の美術品や工芸品が展示されています...
...日本の台湾統治が終わってから、台湾総督府は台湾省政府に改編されました...
...明日辞令を請取(うけと)れば台湾総督府の巡査片岡禅吉ぢや...
内田魯庵 「貧書生」
...金光君は今は亀山姓を名乗って台湾総督府の警務総長...
高浜虚子 「子規居士と余」
...児玉台湾総督は、伊藤内閣の時代に用いられたる人なれども、其系統をいへば山県派に属し、前々警視総監たりし園田安賢男及び現警視総監大浦兼武氏は、長化したる薩人を以て目せられ、共に山県侯の幕下たり、園田男は曾て伊藤侯にも信任せられたる人なれども、大隈内閣の成立せる当時より、遽かに伊藤侯の政見を非として純然たる山県崇拝家と為れり会計検査院長渡辺昇子は世人之れを伊藤系統の人なりといへども、其思想感情は寧ろ山県侯に近かく、検査官中の老功中山寛六郎氏は、今や満身錆の廃刄なれども、一時は属僚中の尤たりしが、氏も亦山県侯に恩顧ある人なり現宮内大臣田中光顕子は土佐出身なれども、其精神は夙に之れを山県侯に捧げたる人なり現法制局長平田東助氏は、政府部内に於ける一方の領袖にして、而も山県侯の参謀と称せられ、現内閣書記官長安広伴一郎氏は、後進の一敏才にして、而も山県侯の智嚢たり野村靖子は第二次伊藤内閣の逓信大臣たりし時、属僚の為めに放逐せられたる敗軍の将にして、今は枢密院に隠るゝ人なれども、山県侯一たび之れを招げば、履を逆まにして之れに馳せむ看来れば山県系統の四方に蔓引すること実に斯くの如きものあり...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...乃木(のぎ)将軍が一時台湾総督になって間もなくそれをやめた時...
夏目漱石 「道草」
...武夫は台湾総督府技手...
森鴎外 「津下四郎左衛門」
...前の佐久間台湾総督と内田嘉吉民政長官とが...
柳田国男 「故郷七十年」
...その兄が先に述べた台湾総督をした安藤貞美大将である...
柳田国男 「故郷七十年」
...将軍がまだ高知県少参事(しょうさんじ)だの台湾総督参謀だのを...
吉川英治 「日本名婦伝」
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