...「楽可口可」ではなく「可口可楽」だと俺は気づいた...
高見順 「いやな感じ」
...可楽が高座に上つた...
武田麟太郎 「落語家たち」
...そこへ可楽が出たものだ...
武田麟太郎 「落語家たち」
...初代の可楽はどうのむらくはどうのと五月蠅(うるさ)いことを並べ立てる手合が少なくなかった...
正岡容 「小説 圓朝」
...可楽について論評されたが...
正岡容 「随筆 寄席囃子」
...可楽の「らくだ」はかのならずものなる兄弟分...
正岡容 「随筆 寄席囃子」
...今にして遺憾のことに思っている(後註――可楽もついこの間...
正岡容 「随筆 寄席囃子」
...「道灌」と「佐平次」と「火事息子」と――亡き可楽を聴きし頃の手記――昨夜の三席は愉しいことでした...
正岡容 「随筆 寄席囃子」
...可楽の会へ参じてのちの宿題としましょう...
正岡容 「随筆 寄席囃子」
...可楽もいい演出をしてくれたのだと思いました...
正岡容 「随筆 寄席囃子」
...貞山・山陽・蘆洲・小さん・文楽・可楽・志ん生・圓生・圓遊・左楽といったような講談師落語家がぐるりと居流れて合掌していた...
正岡容 「随筆 寄席風俗」
...最近では近時没した両者崇拝の可楽がよく記憶(おぼ)えていて歌いかつ踊った最後の一人だったろう...
正岡容 「寄席行燈」
...二月十一日には、小石川音羽蓮光寺に喇叭の円太郎を掃墓して、春風や屋根に草ある朱き門三月廿九日は、ただ只管に平和ぞ恋しく、ありし日の寄席景情を偲べばとの前書下に、初席や梅の釣枝太神楽春の夜や花籠二つ鞠の曲春の夜の囃子の中の米洗ひやがて四月十三日と五月廿五日と、二ど焼かれた私たち一家は、羽後山村へ、ランプの村に起臥四ヶ月、折柄の月明には、佗びしき朽縁に端坐して、佗居うたた木村重松おもふ月風悲し重松ありしころの月と諷ひ、同じころ、現三笑亭可楽と、角舘町に於る、寄席芸術に関する講演に赴いて、偶々席上にて旧著『円朝』へ題句を求められた砌りには、東京(ふるさと)の寄席の灯遠き夜長かなと、即吟した...
正岡容 「寄席風流」
...九年のころ現三笑亭可楽君(八代目)は某々紙上において自らの落語速記を...
正岡容 「我が圓朝研究」
...往年の可楽君の悒鬱(ゆううつ)...
正岡容 「我が圓朝研究」
...爆笑同人には死んだ燕路、蝠丸(伸治の父)もいたが、出世頭は志ん生、今輔、圓歌、可楽、三木助の五君であろう...
正岡容 「わが寄席青春録」
...「異郷雖可楽...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
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