...」大観氏と上方舞(かみがたまひ)11・28(夕)二十五日の夜(よ)堺卯(さかう)で芸術愛好者の一団が日本美術院の同人を招待(せうだい)した...
薄田泣菫 「茶話」
...母親代りに手塩にかけて来た卯女子からは特別な愛情を注がれてゐたので...
田畑修一郎 「鳥羽家の子供」
...卯女子の嫁いだ所は町から河沿ひの路を山の懐深く溯(さかのぼ)つた村であつて、父、卯女子、幾と云ふ順序で俥(くるま)がゆるゆると列を作つたのであるが、軍治は父の膝から今度は幾の方へと気紛れに乗り移つて、姉の俥に乗るとは言はなかつた...
田畑修一郎 「鳥羽家の子供」
...後には卯杖と改称した...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...卯平(うへい)は短(みじか)い時間(じかん)であつたが氣(き)がついてから心掛(こゝろが)けたので財布(さいふ)には幾(いく)らかの蓄(たくは)へもあつた...
長塚節 「土」
...餘所(よそ)を見(み)ては又(また)ちらと卯平(うへい)を見(み)つゝあつたが此(この)時(とき)おつぎの手許(てもと)へ嘴(くちばし)を容(い)れた...
長塚節 「土」
...卯平(うへい)は當座(たうざ)の内(うち)は其處(そこ)ら此處(ここ)らへ行(い)つては自分(じぶん)からは求(もと)めないでも...
長塚節 「土」
...卯平(うへい)はさうすると又(また)のつそりと懶(ものう)げに身體(からだ)を戸口(とぐち)まで動(うご)かして與吉(よきち)の手(て)に渡(わた)してやる...
長塚節 「土」
...勘次(かんじ)の目(め)には卯平(うへい)が能(よ)く村落(むら)の店(みせ)に行(ゆ)くのは贅澤(ぜいたく)な老人(としより)である樣(やう)に僻(ひが)んで見(み)える廉(かど)もあつた...
長塚節 「土」
...彼(かれ)は時々(とき/″\)卯平(うへい)の側(そば)へも行(い)つた...
長塚節 「土」
...昨夜(ゆうべ)のお燗番――磯屋の庭掃き卯八でした...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...――涼み船で笑い茸を呑ませるという話を卯八から聴いて...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...貫兵衞と爺やの卯八だけですよ」「何?」「死んだ七平なんぞと來た日にや...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...カルピス会社の万年卯六といふ...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...若君様へこちらから卯槌(うづち)を差し上げられます...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...按ずるに乙卯は竜池の歿する前年で...
森鴎外 「細木香以」
...二十四年辛卯、四十五歳...
森鴎外 「能久親王年譜」
...特に卯の日を重視する風(ふう)は...
柳田国男 「海上の道」
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