...廿七日、丁卯、晴、陰、将軍家大将に任ぜられ給ふの間、御拝賀の為、鶴岳宮に参り給ふ、早旦行村の奉として、御拝賀有る可きの由を、下向の雲客等に触れ申す、申の斜に其儀有り...
太宰治 「右大臣実朝」
...卯女子も傍へ寄つて来て母の顔をのぞいたが...
田畑修一郎 「鳥羽家の子供」
...向うの子供部屋のあたりで激しく泣いている軍治をなだめてゐるのは卯女子らしく...
田畑修一郎 「鳥羽家の子供」
...それでも勘次(かんじ)は怖(おそ)ろしい卯平(うへい)と一(ひと)つ竈(かまど)であるよりも却(かへつ)て本意(ほんい)であつた...
長塚節 「土」
...勘次(かんじ)とおつぎとが晝餐(ひる)に歸(かへ)つて來(き)た時(とき)に卯平(うへい)は居(ゐ)なかつた...
長塚節 「土」
...卯平(うへい)は其(そんな)果敢(はか)ない仕事(しごと)でも...
長塚節 「土」
...麩味噌(ふすまみそ)で佳味(うま)かねえが今(いま)ぢやそんでもお汁(つけ)は吸(す)へるこた吸(す)へんのよ」卯平(うへい)は自分(じぶん)の手柄(てがら)でも語(かた)るやうないひ方(かた)であつた...
長塚節 「土」
...安政三年長谷川卯兵衛建之――と美事(みごと)な墨色を残している...
長谷川時雨 「旧聞日本橋」
...アメリカ領事館書記官A・ボルトメンが倒壊寸前の徳川幕府当局から江戸横浜間の鉄道利権を取った日付は慶応三年丁卯(ていう)十二月二十三日...
服部之総 「黒田清隆の方針」
...黒幕の大久保市蔵(おおくぼいちぞう)は取敢(とりあ)えず清本卯三郎を頼み...
福澤諭吉 「福翁自伝」
......
正岡子規 「俳人蕪村」
...水晶花は卯花(うのはな)であらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...この游は安政二年乙卯(おつぼう)四月六日に家を発し...
森鴎外 「細木香以」
...「卯木の身は、どうかされたのでございましょうか」「いや、いや...
吉川英治 「私本太平記」
...卯木も病気に負けますまい」「おお...
吉川英治 「私本太平記」
...卯木は拝みたいような顔で頷いた...
吉川英治 「私本太平記」
...卯木はすぐ涙して...
吉川英治 「私本太平記」
...まだこの城が水攻めをうけない卯月(うづき)二十七日の大寄せに...
吉川英治 「新書太閤記」
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