...御所の南庭に於て...
太宰治 「右大臣実朝」
...一族九十八人を引率して南庭に列座す...
太宰治 「右大臣実朝」
...みんな御一緒にずらりと南庭に列座して...
太宰治 「右大臣実朝」
...相州さまは南庭に列座してゐる御一族の者に向ひ...
太宰治 「右大臣実朝」
...御ところの南庭に於いて未聞の大恥辱を受け...
太宰治 「右大臣実朝」
...二日、壬、陰、筑後左衛門尉朝重、義盛の近隣に在り、而るに義盛の館に軍兵競ひ集る、其粧を見、其音を聞きて戎服を備へ、使者を発して事の由を前大膳大夫に告ぐ、時に件の朝臣、賓客座に在りて、杯酒方に酣なり、亭主之を聞き、独り座を起ちて御所に奔り参ず、次に三浦平六左衛門尉義村、同弟九郎右衛門尉胤義等、始めは義盛と一諾を成し、北門を警固す可きの由、同心の起請文を書き乍ら、後には之を改変せしめ、兄弟各相議りて云ふ、早く先非を飜し、彼の内議の趣を告げ申す可しと、後悔に及びて、則ち相州御亭に参入し、義盛已に出軍の由を申す、時に相州囲碁の会有りて、此事を聞くと雖も、敢て以て驚動の気無く、心静に目算を加ふるの後起座し、折烏帽子を立烏帽子に改め、水干を装束きて幕府に参り給ふ、御所に於て敢て警衛の備無し、然れども両客の告に依りて、尼御台所並びに御台所等営中を去り、北の御門を出で、鶴岳の別当坊に渡御と云々、申刻、和田左衛門尉義盛、伴党を率ゐて、忽ち将軍の幕下を襲ふ、百五十の軍勢を三手に相分け、先づ幕府の南門並びに相州の御第、西北の両門を囲む、相州幕府に候せらると雖も、留守の壮士等義勢有りて、各夾板を切り、其隙を以て矢石の路と為して攻戦す、義兵多く以て傷死す、次に広元朝臣亭に、酒客座に在り、未だ去らざる砌に、義盛の大軍競ひ到りて、門前に進む、其名字を知らずと雖も、已に矢を発ちて攻め戦ふ、酉剋、賊徒遂に幕府の四面を囲み、旗を靡かし箭を飛ばす、朝夷名三郎義秀、惣門を敗り、南庭に乱れ入り、籠る所の御家人等を攻め撃ち、剰へ火を御所に放ち、郭内室屋一宇を残さず焼亡す、之に依りて将軍家、右大将軍家の法花堂に入御、火災を遁れ給ふ可きの故なり、相州、大官令御共に候せらる、凡そ義盛啻に大威を摂するのみに匪ず、其士率一以て千に当り、天地震怒して相戦ふ、今日の暮より終夜に及び、星を見るも未だ已まず、匠作全く彼の武勇を怖畏せず、且は身命を棄て、且は健士を勧めて、調禦するの間、暁更に臨みて、義盛漸く兵尽き箭窮まり、疲馬に策ちて、前浜辺に遁れ退く...
太宰治 「右大臣実朝」
...同時に御所の南庭に...
太宰治 「右大臣実朝」
...南庭から西の軒場へ歩み去る姿を見ると...
中里介山 「大菩薩峠」
...浄海 そちらの南庭の桜の木は殆ど折れて幹だけになってしまったとか...
藤野古白 藤井英男訳 「人柱築島由来」
...鳥の声も朗らかな気のする南庭を見て親王方...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...西東続いた南庭の池の間に中島の岬(みさき)の小山が隔てになっているのを漕(こ)ぎ回らせて来るのであった...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...正成が南庭(なんてい)の寝殿(しんでん)をそこに仰いだとき...
吉川英治 「私本太平記」
...そこの築土(ついじ)にのぼって南庭のみごとな紅葉を折りちらした...
吉川英治 「私本太平記」
...南庭瀬(みなみにわせ)の城を頑強(がんきょう)にかため...
吉川英治 「新書太閤記」
...朝廷の南庭に畏まった...
吉川英治 「平の将門」
便利!手書き漢字入力検索