...一私が永井荷風君を知つたのは卅七八年も以前のこと...
生田葵山 「永井荷風といふ男」
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井上準之助 「金解禁前後の經濟事情」
...卅日、甲辰、永福寺に始めて舎利会を行はる、尼御台所、将軍家並びに御台所御出、法会の次第、舞楽已下美を尽し、善を尽す...
太宰治 「右大臣実朝」
...十二月卅日晴れたり曇つたり...
種田山頭火 「行乞記」
...誰もこない十月卅日けさは早かつた...
種田山頭火 「其中日記」
...七月卅日曇...
種田山頭火 「旅日記」
...同書那珂郡の條下に曰く「平津驛家、西一二里有岡、名曰大櫛、上古有人、體極長大、身居丘壟之上、採蜃食之、其所食具、積聚成岡、時人取大之義、今曰大櫛岡、其大人踐跡、長卅餘歩、廣廿餘歩、尿穴跡可廿餘許、」大櫛今又大串と改稱(かいせう)して東茨城郡に屬せり...
坪井正五郎 「コロボックル風俗考」
...又西高辻男爵の藏せらるゝ張楚金の翰苑卷第卅に倭國の條ありて...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...十月卅一日...
永井荷風 「荷風戰後日歴 第一」
...十二月卅一日...
永井荷風 「荷風戰後日歴 第一」
...其卅を眼前に控へた身を以ておふさはあどけなく土手を往復する...
長塚節 「おふさ」
...地味な支度の卅恰好の女が出て挨拶をした...
長塚節 「菜の花」
...七月初旬には日々卅九度の熱となった...
長谷川時雨 「樋口一葉」
...明治卅三年の六月十二日のことであった...
久生十蘭 「新西遊記」
...緊急要件につき昨卅一日午後より再三再四打電するも未だ何の返電なし...
久生十蘭 「魔都」
...この頃は卅八度の低熱にも苦しむに六分とありては後刻の苦(くるしみ)さこそと思はれ...
正岡子規 「墨汁一滴」
...義太夫「卅三間堂棟由来」のなかの有名な木遣唄をうたいました...
三浦環 「お蝶夫人」
...卅二町望月駅...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
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