例文・使い方一覧でみる「卅」の意味


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...一私が永井荷風君を知つたのは七八年も以前のこと...   一私が永井荷風君を知つたのは卅七八年も以前のことの読み方
生田葵山 「永井荷風といふ男」

......   の読み方
井上準之助 「金解禁前後の經濟事情」

...日、甲辰、永福寺に始めて舎利会を行はる、尼御台所、将軍家並びに御台所御出、法会の次第、舞楽已下美を尽し、善を尽す...   卅日、甲辰、永福寺に始めて舎利会を行はる、尼御台所、将軍家並びに御台所御出、法会の次第、舞楽已下美を尽し、善を尽すの読み方
太宰治 「右大臣実朝」

...十二月日晴れたり曇つたり...   十二月卅日晴れたり曇つたりの読み方
種田山頭火 「行乞記」

...誰もこない十月日けさは早かつた...   誰もこない十月卅日けさは早かつたの読み方
種田山頭火 「其中日記」

...七月日曇...   七月卅日曇の読み方
種田山頭火 「旅日記」

...同書那珂郡の條下に曰く「平津驛家、西一二里有岡、名曰大櫛、上古有人、體極長大、身居丘壟之上、採蜃食之、其所食具、積聚成岡、時人取大之義、今曰大櫛岡、其大人踐跡、長餘歩、廣廿餘歩、尿穴跡可廿餘許、」大櫛今又大串と改稱(かいせう)して東茨城郡に屬せり...   同書那珂郡の條下に曰く「平津驛家、西一二里有岡、名曰大櫛、上古有人、體極長大、身居丘壟之上、採蜃食之、其所食具、積聚成岡、時人取大之義、今曰大櫛岡、其大人踐跡、長卅餘歩、廣廿餘歩、尿穴跡可廿餘許、」大櫛今又大串と改稱して東茨城郡に屬せりの読み方
坪井正五郎 「コロボックル風俗考」

...又西高辻男爵の藏せらるゝ張楚金の翰苑卷第に倭國の條ありて...   又西高辻男爵の藏せらるゝ張楚金の翰苑卷第卅に倭國の條ありての読み方
内藤湖南 「卑彌呼考」

...十月一日...   十月卅一日の読み方
永井荷風 「荷風戰後日歴 第一」

...十二月一日...   十二月卅一日の読み方
永井荷風 「荷風戰後日歴 第一」

...其を眼前に控へた身を以ておふさはあどけなく土手を往復する...   其卅を眼前に控へた身を以ておふさはあどけなく土手を往復するの読み方
長塚節 「おふさ」

...地味な支度の恰好の女が出て挨拶をした...   地味な支度の卅恰好の女が出て挨拶をしたの読み方
長塚節 「菜の花」

...七月初旬には日々九度の熱となった...   七月初旬には日々卅九度の熱となったの読み方
長谷川時雨 「樋口一葉」

...明治三年の六月十二日のことであった...   明治卅三年の六月十二日のことであったの読み方
久生十蘭 「新西遊記」

...緊急要件につき昨一日午後より再三再四打電するも未だ何の返電なし...   緊急要件につき昨卅一日午後より再三再四打電するも未だ何の返電なしの読み方
久生十蘭 「魔都」

...この頃は八度の低熱にも苦しむに六分とありては後刻の苦(くるしみ)さこそと思はれ...   この頃は卅八度の低熱にも苦しむに六分とありては後刻の苦さこそと思はれの読み方
正岡子規 「墨汁一滴」

...義太夫「三間堂棟由来」のなかの有名な木遣唄をうたいました...   義太夫「卅三間堂棟由来」のなかの有名な木遣唄をうたいましたの読み方
三浦環 「お蝶夫人」

...二町望月駅...   卅二町望月駅の読み方
森鴎外 「伊沢蘭軒」

「卅」の読みかた

「卅」の書き方・書き順

いろんなフォントで「卅」


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影絵   廃物利用   油断ならぬ  

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