...協和会の公式声明を知らなかった私はその後の満州国、北支の状況上、東亜連盟を公然強調する勇気を失っていたが、昭和十三年夏病気のため辞表を提出した際、上官から辞表は大臣に取次ぐから休暇をとって帰国するよう命ぜられたので軽率な私は予備役編入と信じ、九月一日大洗海岸で暴風雨を聴きながら「昭和維新方略」なる短文を草し、満州建国以来同志の主張に基づき東亜連盟の結成を昭和維新の中核問題としたのである...
石原莞爾 「戦争史大観」
...北支蒙古と言ってもね...
梅崎春生 「狂い凧」
...北支風雲ます/\急...
種田山頭火 「其中日記」
...北支事変が、国内に於て、とにも角にも一応現実の力となった挙国一致という体制を造り出したと同時に、支那在留の邦人(冀東・冀察・南支一帯)の国民生活の安定を著しく動揺せしめたことは、歴史に記録すべき現象だが、これも亦、挙国一致と国民生活安定との関係を見るのに、相当な参考になる資料だろう...
戸坂潤 「挙国一致体制と国民生活」
...北支事変が、準戦時体制乃至戦時体制をばこの動員体制にまで推進させたことは云うまでもない...
戸坂潤 「思想動員論」
...この北支問題を目して北支独立に導く心算ではないかと憂えた向きもあったようだ...
戸坂潤 「社会時評」
...(一九三五)4 膨張する日本世間が北支問題に絶大な関心を寄せた理由は...
戸坂潤 「世界の一環としての日本」
...当時或る勢力が軍部と相談して北支進出を計画していたそうだから...
戸坂潤 「世界の一環としての日本」
...果して中国国民(北支那はまだ中国政府の領土なのである!)にとって利益になるのかどうか当てになったものではない...
戸坂潤 「世界の一環としての日本」
...無論恐らく事実上は之が北支の安寧秩序を確保することは或る限度まで必ず出来るであろうが...
戸坂潤 「世界の一環としての日本」
...準ツラン民族とは北支那人・ブルガン族を含み...
戸坂潤 「日本イデオロギー論」
...*北支の鉄道は華北交通会社の経営に属しているが...
豊島与志雄 「北支点描」
...北伐も北支では阻止しなければならない...
河本大作 「私が張作霖を殺した」
...井口の北支戦線報告てのをきく...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...東宝の「満洲より北支」を見...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...『皇立亜細亜協会北支那部雑誌』二輯十一巻五二―五三頁...
南方熊楠 「十二支考」
...長安で北支那の土埃(つちほこり)をかぶって...
森鴎外 「寒山拾得」
...広大な北支の地を占めた曹操の業と...
吉川英治 「三国志」
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