...北原白秋も俳聖と呼ばれることがある...
...纔(わづか)に平生の北原君よりも手軽に正体を露(あらは)すだけなり...
芥川龍之介 「田端人」
...×北原(きたはら)さん...
芥川龍之介 「正岡子規」
...たとへば斎藤氏や北原氏の短歌に或は猪口(ちよく)でシロツプを嘗(な)めてゐるものがあるとしても...
芥川龍之介 「又一説?」
...北原さんにいろいろ話しかけられても...
小穴隆一 「二つの繪」
...一方神田淡路町に琅洞(ろうかんどう)という小さな美術店を創設して新興芸術の展覧会などをやったり、当時日本に勃興したスバル一派の新文学運動に加わったりしていたと同時に、遅蒔(おそまき)の青春が爆発して、北原白秋氏、長田秀雄氏、木下杢太郎氏などとさかんに往来してかなり烈(はげ)しい所謂(いわゆる)耽溺(たんでき)生活に陥っていた...
高村光太郎 「智恵子の半生」
...木下杢太郎(きのしたもくたろう)北原白秋(きたはらはくしゅう)諸家の或時期の詩篇には築地の旧居留地から月島永代橋(つきしまえいたいばし)あたりの生活及びその風景によって感興を発したらしく思われるものが尠(すくな)くなかった...
永井荷風 「日和下駄」
...「君にも似合わない」と良斎から言われても、北原は、「及びもつかないことです」と打消しました...
中里介山 「大菩薩峠」
...その北原賢次が入り込んで来た時に...
中里介山 「大菩薩峠」
...御覧なさい……」北原賢次は...
中里介山 「大菩薩峠」
...北原賢次が再び度胆(どぎも)をぬかれてしまいました...
中里介山 「大菩薩峠」
...その時に、隣りの人が、意外にも気軽に首をあげて、「これは皆様、よくおいでになりました、お雪がいろいろとお世話になります」と後ろから、不意にあびせられたものですから、北原と、村田が、おびえたように振返って、「いやどうも、我々こそ、お世話になりつづけ、失礼のしつづけでございます」と挨拶を返しました...
中里介山 「大菩薩峠」
...北原賢次もいれば...
中里介山 「大菩薩峠」
...北原はじめ一行の上にかけられなければなりません...
中里介山 「大菩薩峠」
...丁度同じ北原氏の雜誌に僕も詩を書いてゐた...
萩原朔太郎 「室生犀星に與ふ」
...たゞちに北原白秋さんを連想する――といふより白秋さんから...
牧野信一 「城ヶ島の春」
...その後与謝野寛先生の主宰する新詩社に入り、「明星」に歌を出すやうになつたが、さうなると私の歌に対する情熱は日毎に高まり、明治四十年七月与謝野先生、北原白秋、木下杢太郎、平野万里等と九州へ旅行をした時以来、切支丹遺跡探訪から得た異国情調に対する憧憬は、自由主義的外国文学の影響もあつて、短歌の封建性を破ることに専念するやうになつた...
吉井勇 「老境なるかな」
...――北原も味方の敗れとなり...
吉川英治 「三国志」
...北原(ほくげん)を通って隴西(ろうせい)の道すじへ向え...
吉川英治 「三国志」
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