...例(たと)へば阿蘇(あそ)の建磐龍命(たけいはたつのみこと)は正二位勳五等(しようにいくんごとう)にのぼり...
今村明恒 「火山の話」
...」先生といふのは下島勳(空谷)...
小穴隆一 「二つの繪」
...空谷老人(故下島勳)が何か雜誌で僕をやつつけてゐる...
小穴隆一 「二つの繪」
...壯健(さうけん)な者(もの)も勳章(くんしやう)を着(つ)けてゐるではないか...
アントン・チエホフ Anton Chekhov 瀬沼夏葉訳 「六號室」
...速(はや)う逢(あ)うて! そして此(この)指輪(ゆびわ)を予(わし)の勳爵士(ナイト)どのに手渡(てわた)して...
シェークスピヤ William Shakespeare 坪内逍遙訳 「ロミオとヂュリエット」
...伊藤侯と大隈伯とは共に他の元勳諸公に過ぐ故に其の門下生に富むも亦實に當代に冠たり然れども伊藤侯の愛好するものは...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...維新の元勳にして大宰相の器あるものは...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...顧ふに維新の元勳にして...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...優に明治第一流の元勳たる名譽を要求し得可し...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...巧みに元勳政治家の間を周旋し...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...統御の器彼れが歐洲より歸るや、久しからずして帝國議會開會せられ、彼れは憲法より與へられたる特權に依りて貴族院の一席を占めたり當時貴族院には、或は學識を以て、或は勳功を以て、或は閲歴を以て、既に世に聞えたる先輩の士甚だ多くして、彼れは恰も大人群中の小兒の如き觀ありき則ち誰れか此小兒が大人を統御し得るの器を具へたるを知るものあらむや此を以て時の貴族院議長伊藤博文が、偶々故ありて自ら事を觀る能はざるに際し、彼れを假議長として指名するや、滿場皆其意外に驚かざる莫く、中には冷笑を以て彼れを迎へたるものありしと雖も、彼は何の遲疑する所なくして議長の椅子に就きたり滿場は再び意外の感に打たれたりき何となれば彼れの安詳沈着たる態度明敏果斷なる處置は、自然に議長たるの伎倆を示したればなり...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...勳功があるからと言つて政治の事を知らない武人などに政治をやらせるのは大いなる間違である...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...正四位勳五等永井君墓志永阪周撰并書君名久一郎...
永井荷風 「荷風戰後日歴 第一」
...學務部長が非常に款待してくれて、又遊びに來給へ、と肩を叩かんばかりにして呉れたこと、だから、これからも時々伺はうと思つてゐること、この學務部長さん(彼はさんをつけ、このやうな高官に衷心からの尊敬を抱かないやうな人間の存在は、想像することも出來ない樣子である)は從×位、勳×等で、まだ若いからもつと大いに出世されるであらうこと、この人の夫人の父君が内閣の某高官であることなど、恐懼に堪へないやうな語り口で話した...
中島敦 「かめれおん日記」
...彼女の夫たちの位階勳等の順序に一列に規則正しくお尻を列べて...
野上豐一郎 「奈良二題」
...著作! 名聲! そんなものの勳章が...
萩原朔太郎 「宿命」
...而して諫めて聽かず號泣して父に從ふが如きに至りては、義時は殆儔稀なる義人孝子といふも可なるべし、此事件に付きての政子の態度をば、吾妻鏡之を明記せざれども、其後幾くもなくして起れる朝政謀反事件よりして考ふるも、政子は重忠誅戮に關しては義時も同一の意見なりと想像して大差なかるべし、然るに同年七月八日の條に以畠山次郎重忠餘黨等所領、賜勳功之輩、尼御臺所御計也、將軍家御幼稚之間如此云々同月廿日の條に尼御臺所御方女房五六輩、浴新恩、是又亡卒遺也云々とあり、寃罪にて誅せられ廣常の後の如きは勿論、眞に其罪ありて誅せられし者の後と雖、なほ幕府より撫恤を蒙れる例もあり、傳ふる如くんば重忠秋毫の罪あるにあらず、これ鎌倉の衆目のみる所、義時政子の熟知する所なり、假令重忠の誅戮をば宥むること能はざりしにもせよ、延て其餘黨を窮追しこれが所領を奪ひ政子の計らひとして之を勳功の輩に與ふることあるべからざるなり、義時も又爰にいたりて一言の云々もなし、義時政子の二人何ぞ始めて孝且義にして後に漠然たるの甚しきや、或は當時二人の擧動を以て父時政に對して忍びざるの情より來りたりとするも、若同年閏七月の事變に際する二人の態度を考へば、始めに處女にして終りに脱兎たる者か、怪むべきの至なり...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...彼は勳章を貰つた...
ピエル・ロチ Pierre Loti 吉江喬松訳 「氷島の漁夫」
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