...私は決して与へた農民を拘束する意味で斯う云ふのではないが併し自分としては出来得べくんば自分の土地解放の精神が漸次彼等に依つて拡大され発展し成長して行く事を冀(こいねが)つて已まないのである...
有島武郎 「狩太農場の解放」
...唯冀(ねが)ふところのものは総べての木が目隠しの役目を全うして呉れることである...
高浜虚子 「発行所の庭木」
...支那在留の邦人(冀東・冀察・南支一帯)の国民生活の安定を著しく動揺せしめたことは...
戸坂潤 「挙国一致体制と国民生活」
...蓋し伯も亦曾て此冀望を抱て多數の俊髦を糾合したること此に年あり其徒沼間守一...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...閣下の内閣をして超然内閣の裝姿を脱せしむるの冀望ありしが爲めに...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...又國民多數の冀望なるを以てなり...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...自ら行政権を把握するの冀望あるに於て始めて出現す可し...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...黒川氏は翼を冀の訛りなりとして...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...余生を送らむことを冀ふのみ...
永井荷風 「断腸亭日乗」
...君わがかたくななるを怒らずば冀くは来りてわが門(かど)を叩くなかれ...
永井壮吉 「偏奇館吟草」
...約束の二週間がなるべくゆっくり廻転するようにと冀(ねが)った...
夏目漱石 「思い出す事など」
...孫乾(そんけん)は冀州から帰ってきたものの...
吉川英治 「三国志」
...冀州へ書簡を送ったことも耳にはいったので...
吉川英治 「三国志」
...袁紹の子息や冀州の残党が落ちのびて行った先の消息も怠らず探らせていた...
吉川英治 「三国志」
...北方の袁紹(えんしょう)ですら一敗地に滅び、冀北(きほく)、遼東(りょうとう)、遼西(りょうせい)まで席巻(せっけん)したあの勢いで南へきたら?」「かならず参ります...
吉川英治 「三国志」
...よく涼州の事情に通じ民心を得ていますから、この者に、冀城を守らせ、一軍を領せしめておいたら、大きな抑えともなり、たとい馬超が再起を計っても、やがて自滅して行くものと考えられますが」「では、その任を、其方に命じよう...
吉川英治 「三国志」
...いま冀城にいる姜維(きょうい)から...
吉川英治 「三国志」
...尹賞(いんしょう)を冀城の令とし...
吉川英治 「三国志」
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