...未嘗て源兵衛佐の卓識を以てするも武門政治の創業者としては遂に彼の足跡を踏みたるに過ぎざるを思はずンばあらず...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...彼を抑ふるに源兵衛佐を以てせむとしたれば也...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...若し兵衛佐頼朝をして此際に処せしめむ乎...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...同十月二十四日任右兵衛佐...
太宰治 「右大臣実朝」
...治承(ちしょう)の昔文覚上人(もんがくしょうにん)が何処の馬の骨だか分らないされこうべを「義朝(よしとも)の髑髏(どくろ)」と称して右兵衛佐頼朝(うひょうえのすけよりとも)に示した故智に倣(なら)い...
谷崎潤一郎 「武州公秘話」
...そのうちに兵衛佐もとうとうお諦めになったように...
堀辰雄 「かげろうの日記」
...上野介の嫡男(ちゃくなん)の左兵衛佐(さひょうえのすけ)ではあるまいか...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...では、鶴の餌の泥鰌は、これへ置いて参ります』『泥鰌? それも要らん、持って帰れ』『左様でございますか』怪訝(けげん)な顔をして――つい、起(た)ち惑(まど)っていると、左兵衛佐は、家の中へ向って、『孫兵衛、孫兵衛っ...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...左兵衛佐は、まだ木口の新しい長押(なげし)や天井を見上げて、父の上野介が、これを建築する時の種々(いろいろ)な凝(こ)り方だの、普請(ふしん)の予算が不足しては、上杉家から、五千両、一万両と、大口に金を借りるたびに、母が辛い立場にあった事などを思い出して、憮然(ぶぜん)としていた...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...それも分らぬ……』左兵衛佐は...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...左兵衛佐は、父にあの事変があって以来、六十歳にもなるこの両親の間に迄、一つの大きな亀裂(ひび)が入ったことを何よりも残念に思った...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...左兵衛佐は、こぼれかけた涙の眼を反らして、辞儀をして起った...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...左兵衛佐は、今夕(こんせき)、上杉家の方へ戻った母の事ばかり考えていた...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...子息左兵衛佐の首(しるし)をあげた場合の注意...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...陽陰(ひかげ)の部屋を好む左兵衛佐であった...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...『おん身といい、左兵衛佐といい、子には恵まれておいで遊ばすが……』と、何か又、良人(おっと)の上野介の愚痴(ぐち)を云いかけたが、上杉家の近習たちを憚(はばか)って、『怪我をしやるな...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...右兵衛佐(うひょうえのすけ)頼朝のことですか」「そうじゃ」「それを……?」「斬れとの仰せなそうじゃが...
吉川英治 「源頼朝」
...そんな孫どもや子息やまた、それにつながる係累(けいるい)の救われない生活ぶりを眺めていると、太政入道は、時にひとり憤(いきどお)ろしくなって、「いっその事、天譴(てんけん)があらわれて、こんな痴児(ちじ)はみな、海嘯(つなみ)に攫(さら)われてしまえ」と、世の為に憂うることもままあったが、時しもあれ、九月下旬、兵衛佐頼朝、其後モ生存アツテ、武総(ムソウ)ノ隅田河原ニ陣シ、千葉、上総、甲信、武相ノ諸源氏ヲ語ラヒ、兵員三万余騎ト聞エ、ソノ勢(イキホヒ)逐日(チクジツ)熾烈(シレツ)...
吉川英治 「源頼朝」
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