...僕はこの頃漫然と兪(ゆゑつ)の「右台仙館筆記(うたいせんくわんひつき)」を読んでゐるうちにかう云ふ俗伝は支那人の中にもあつたと云ふことを発見した...
芥川龍之介 「鴉片」
...『その嗔るが兪以て榎木的なり』と冷かせば...
大町桂月 「吾嬬の森」
...十一月三日、兪處分定まれり...
大町桂月 「宗吾靈堂」
...兪宗吾一人にて直訴することとなりぬ...
大町桂月 「宗吾靈堂」
...中国の有名な学者兪曲園(ゆきょくえん)(清朝の末葉に「南兪北張(なんゆほくちょう)」といわれ...
高神覚昇 「般若心経講義」
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土田杏村 「風は草木にささやいた」
...三杯傾尽兪楼酒...
永井荷風 「断腸亭日乗」
...清代の碩學兪曲園は...
長岡半太郎 「大阪といふところ」
...それよりも、宋末の兪が、当時存在していた各本を合校して、『周易参同契釈疑』一巻を作ったが、この方が善本である...
中谷宇吉郎 「古代東洋への郷愁」
...モ埃(エ)伊(イ)阿(オ)兪(ユ)頭ノ語ニシテ...
穂積陳重 「法窓夜話」
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牧野富太郎 「カキツバタ一家言」
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正岡子規 「墨汁一滴」
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南方熊楠 「十二支考」
...武勇の誉れ高い兪渉(ゆしょう)という大将であった...
吉川英治 「三国志」
...兪渉は、ひと息に飲んで、「いでや」とばかり、兵を引いて、敵軍のまっただ中へ駆け入ったが、またたく間に、彼の手兵は敗走して来て、「兪渉将軍は、乱軍の中に、敵将華雄と出会って、戦うこと、六、七合、たちまち彼の刀下に斬って落された」とのことに、満堂の諸侯は、驚いていよいよ肌に粟(あわ)を覚えた...
吉川英治 「三国志」
...兪氏(ゆし)という寵妾(ちょうしょう)にも...
吉川英治 「三国志」
...兪美人(ゆびじん)も...
吉川英治 「三国志」
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