...「三元徳」とは、儒教の三大徳目すなわち「仁・義・礼」のこと...
...「長府藩公」として、長州藩の筆頭家老であった毛利元徳の通称...
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中里介山 「大菩薩峠」
...此顯家卿については舞御覽記と云ふものに元徳三年(元弘元年)其宰相中將たりし頃蘭陵王を舞しときの樣を叙して「夕づく日のかげ花の木の間にうつろひて...
原勝郎 「日本史上の奧州」
...『食鑑』は元禄八年人見元徳撰す...
南方熊楠 「十二支考」
...年代順に列記すれば、建保七年、弘安二年、正安四年(乾元元年)、元亨元年、元徳二年、文明五年、慶長五年の諸鈔本である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...永寿院は藍渓元徳(らんけいげんとく)...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...賢の二子が元泰(げんたい)元徳(げんとく)である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...元泰直為の弟元徳に孫芸庵(うんあん)があつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...三つ目通りの元徳稲荷の縁日を振らついた...
山之口貘 「ダルマ船日記」
...元徳(げんとく)二年...
吉川英治 「私本太平記」
...明けて、元徳三年...
吉川英治 「私本太平記」
...元徳三年五月二十一日亡父追善ノ為ニ之ヲ写前(サキ)ノ黄門(クワウモン)ノ侍郎資朝(ジラウスケトモ)と...
吉川英治 「私本太平記」
...この秋、改元ノ令が発せられ、元徳三年は、元弘(げんこう)の元年に変ったという...
吉川英治 「私本太平記」
...かつは鰐淵寺は、都の比叡山延暦寺の有力な末寺であり、元徳三年のころ、ときの叡山の座主(ざす)大塔ノ宮のおはからいで、勅願所ともなっている関係から、島の孤帝にたいして、寺がこういう働きかけに出たとしても、決して不審とはいいえない...
吉川英治 「私本太平記」
...……あれは先おととしの元徳二年の三月でしたぜ」「そうだ...
吉川英治 「私本太平記」
...ついでに言っておけば、私本太平記の今のところは、元徳二年だが、その元徳二年は、兼好法師四十八歳のときで、彼はすでにぼつぼつ何処かで“徒然草”など書きはじめていた頃である...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
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