...元弘戰死碑を見る...
大町桂月 「親子遠足の感」
...この土地の豪族なりしなるべし、飽間三郎、同孫七、同孫三郎の三人、元弘三年、新田義貞の軍に從ひて討死せる由を記せり...
大町桂月 「狹山紀行」
...即ち、正成の志は元弘、建武の御代を救うにあっただけでは無く、万代、人の道を教えるのにあったのだ」門人達は、頷いた...
直木三十五 「三人の相馬大作」
...そこに「元弘帝お腰掛の石」といふのがありました...
松本幸四郎 「大森彦七と名和長年」
...かくいふは元弘(げんこう)元年八月(はづき)二十四日なり...
吉川英治 「私本太平記」
...いぜん元の“元弘二年”を通して行ったので...
吉川英治 「私本太平記」
...元弘頃の古い謡(うた)ではない...
吉川英治 「私本太平記」
...元弘三年五月・執筆・糟谷(かすや)十郎と...
吉川英治 「私本太平記」
...元弘三年の“五月暦(ごよみ)”をくりかえさねばならなくなる...
吉川英治 「私本太平記」
...かくて奥羽にも鎌倉にも、幕府でない、新政体下の民政府ができ、一応、形はととのったかのようなうちに、元弘三年は暮れ、明けて、建武(けんむ)元年に入っていた...
吉川英治 「私本太平記」
...さらに「元弘日記裏書」によれば...
吉川英治 「私本太平記」
...大塔ノ宮の霊元弘(げんこう)の戦歿者敵味方の霊高時の霊いくたの有縁(うえん)無縁の霊に心からな回向(えこう)をささげている姿にみえる...
吉川英治 「私本太平記」
...かつての元弘の年...
吉川英治 「私本太平記」
...元弘元年の北山御遊(ぎょゆう)のおはなしが出たのである...
吉川英治 「私本太平記」
...元弘(げんこう)の博多合戦で...
吉川英治 「私本太平記」
...ふるさとはこよひかぎりの命とも知らでや人のわれを待つらむ元弘の忠臣菊池武時(たけとき)が...
吉川英治 「新書太閤記」
...この篠村(しぬむら)八幡へは、かつて元弘の頃、足利高氏(あしかがたかうじ)も、願文を籠(こ)めたことがある...
吉川英治 「新書太閤記」
...元弘三年「五月中」日譜五月八日 六波羅陥ツ...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
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