...つひに翌年の元久元年七月十八日に御年二十三歳でおなくなりになられました...
太宰治 「右大臣実朝」
...前にもちよつと申し上げましたが、この御台所さまは、かしこきあたりとも御姻戚関係がおありになる京の御名家、坊門信清さまの御女子にて、元久元年、御年十三にして当将軍家へ御輿入に相成りました由にございます...
太宰治 「右大臣実朝」
...またあの元久二年に...
太宰治 「右大臣実朝」
...元久元年正月七日叙従五位上...
太宰治 「右大臣実朝」
...それは元久(げんきゅう)元年のことであったが...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...元久二年正月二十一日世間並の尼女房達が沢山上人の処へ集って来て戒を受け...
中里介山 「法然行伝」
...元久二年に本国に下って...
中里介山 「法然行伝」
......
中里介山 「法然行伝」
...終(つい)に元久元年の冬...
中里介山 「法然行伝」
......
中里介山 「法然行伝」
...起請文の日附には何れも元久元年十一月七日と書いてある...
中里介山 「法然行伝」
...……」という元久法語又の名登山状の一文章である...
中里介山 「法然行伝」
...元久元年の冬臨終正念(りんじゅうしょうねん)にして端座合掌...
中里介山 「法然行伝」
...元久元年三月十四日律師が訪ねて行った...
中里介山 「法然行伝」
...元久二年八月の宇都宮彌三郎頼綱の謀叛の如きこれなり...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...わが土御門天皇(つちみかどてんのう)の元久元年...
林不忘 「若き日の成吉思汗」
...又明月記に元久二年二月二十三日御七条院此間予可儲肴等持参令取居之長櫃一土器居小折敷敷柏盛海松覆松とあれば昔時は貴人も食用に供せられたるならん」「又海藻の種類は多し模様として応用得べきもの少からず然れども古来諸種の工芸品の模様に応用せられたるものは実にみるのみなりみるは其形状のみならず体色も用ひられてみる色といへる緑に黒みある色をも造られたり」とある...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...元久(げんきゅう)元年になる...
吉川英治 「親鸞」
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