...未だ優長な文句を羅列しているにすぎなかった...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...日頃我れを武骨物(ぶこつもの)と嘲りし優長武士に一泡(ひとあわ)吹かせんずと思ひけり...
高山樗牛 「瀧口入道」
...安西(あんさい)四郎など云う美男優長(びなんゆうちょう)の輩(やから)であった...
田中貢太郎 「頼朝の最後」
...矢口(やぐち)などの渡しにくらべてもここのは洲を挟(はさ)んでいるだけに一層優長なおもむきがあっていまどき京と大阪のあいだにこんな古風な交通機関の残っていたことが意外でもあり...
谷崎潤一郎 「蘆刈」
...いつも優長な黒紋付姿を抱車(かかえぐるま)の上に横たえていた...
寺田寅彦 「追憶の医師達」
...優長なる能(あた)わず...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...飯場(はんば)だから優長(ゆうちょう)にしちゃいられないせいだろう...
夏目漱石 「坑夫」
...けだし俳句の上にては優長なる調子を容(い)れず...
正岡子規 「俳諧大要」
...東武ではなかなか文学などいう優長な事をやって居る余地がなかったのですから...
正岡子規 「俳句上の京と江戸」
...勝戦なきを思ひひそかに将軍(尊氏)を討たむものとちかひ居しがそのをり将軍の形質を看(み)たるに面容(めんよう)優長にしてげに大人(たいじん)の風貌備(そな)はる天下の器(うつは)としてこの人...
吉川英治 「私本太平記」
便利!手書き漢字入力検索