...笑つて死生の間に立てる伊勢平氏の健児を中心として組織したる社会にして...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...拓跋魏の健児等が...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...庁北の健児を糾合して八州に雄視する...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...恰も長江に養はれたる、呉の健児が、赤壁に曹瞞八十万の大軍を鏖殺し、詩人をして「漢家火徳終焼賊」と歌はしめたるが如く、瀬戸内海に養はれたる波濤の勇士は、遂に、連勝の余威に乗じたる義仲の軍鋒を破れり...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...木曾三千の健児に擁せられて...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...革命の健児一たび逝きて...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...彼は彼が旗下幾万の北国健児が...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...而して彼は革命の健児也...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...一隊五人の健児、先頭に立つたのは了輔と云つて村長の長男、背こそ高くないが校内第一の腕白者、成績も亦優等で、ジヤコビン党の内でも最も急進的な、謂はば爆弾派の首領である...
石川啄木 「雲は天才である」
...喧嘩好きの海南健児の中にはそれを一つの攻防の武器と心得ていたのもあったらしい...
寺田寅彦 「喫煙四十年」
...維新革命の健児としての彼の事業は...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...これが以前の健児所...
柳田國男 「地名の研究」
...そんな連中と健児社の箱田六輔(ろくすけ)氏等が落合って大事を密議している席上に...
夢野久作 「近世快人伝」
...残酷にも健児社に居残っている少年連を悉(ことごと)く引捉(ひっとら)えて投獄した...
夢野久作 「近世快人伝」
...酢では酔興が出来んので残念じゃと云うておった」同じ健児社の同志で運よく年少のために捕えられなかった宮川太一郎(今の政友代議士...
夢野久作 「近世快人伝」
...廟は南洋大学堂の学生から成る革命軍の健児の屯営に使用せられ...
與謝野寛、與謝野晶子 「巴里より」
...民国今日の健児たちに語を寄せていう者...
吉川英治 「三国志」
...「具申(ぐしん)尋問のため」と唱うる薩南(さつなん)の健児たちは...
吉川英治 「日本名婦伝」
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