...宮沢賢治は俳聖としても知られている...
...俳聖・小林一茶の「天地はるかにして」は有名な句である...
...北原白秋も俳聖と呼ばれることがある...
...俳聖たちの作品を学ぶ俳句教室があります...
...最近は俳聖の句に影響を受け、俳句に興味が湧きました...
...俳聖芭蕉(ばしょう)のいわゆる「見るところ花にあらずということなし...
高神覚昇 「般若心経講義」
...況(いは)んや俳聖芭蕉の生地である...
近松秋江 「伊賀國」
...俳聖の書は蕪村のやうだなといつて笑つて居た...
長塚節 「竹の里人〔二〕」
...そこで、俳聖芭蕉は、みだりに作らないといふ覚悟を非常に持つてゐたさうであるが、その事は、私には此の場合特に重要な事と考へられる...
中原中也 「新短歌に就いて」
...芭蕉と共に蕪村を二大俳聖と称するのである...
萩原朔太郎 「郷愁の詩人 与謝蕪村」
...無批判に俳聖と称している...
萩原朔太郎 「郷愁の詩人 与謝蕪村」
...「詩」をその本質に持たない俳聖...
萩原朔太郎 「郷愁の詩人 与謝蕪村」
...絵画的の描写を能事としている俳聖...
萩原朔太郎 「郷愁の詩人 与謝蕪村」
...そんな似而非詩人の俳聖がどこにいるか...
萩原朔太郎 「郷愁の詩人 与謝蕪村」
...夕立や田をみめぐりの神ならば――と俳聖が干天(ひでり)に祈つた三圍(みめぐり)神社も...
長谷川時雨 「河風」
...そしてこの古い考定が今日まで続いて残り、俳人、歌人の間にはそれが頭にこびり付いて容易にその非を改むることができず、したがって俳聖、歌聖と仰がれる人でもみなこの誤りをあえてしているから、今日の人々の作り出す新句新歌のうえにもやはり旧慣に捉われひんぴんとしてこの墨守せられた誤りの字面が使われていて、すなわちこれらの人々には草や木の名の素養がまったく欠けていることを暴露しているのは残念である...
牧野富太郎 「カキツバタ一家言」
...そしてこの旧(ふる)い考定が今日まで続いて残り、俳人、歌人の間にはそれが頭にこびり付いて容易にその非を改むる事が出来ず、従て俳聖、歌聖と仰がれる人でも皆この誤りをあえてしているから、今日の人々の作り出す新句新歌の上にもやはり旧慣に捉われ頻々としてこの墨守せられた誤りの字面が使われていて、すなわちこれらの人々には草や木の名の素養が全く欠けている事を暴露しているのは残念である...
牧野富太郎 「植物記」
...俳聖芭蕉も同じく地震には縁遠い方といわなければならない...
武者金吉 「地震なまず」
...俳聖芭蕉の行脚(あんぎゃ)をしていた頃までは...
柳田国男 「木綿以前の事」
...いずれにせよ、義仲も、その自然児的性格から、史実非史実を交(ま)ぜて、ずいぶん世の毀誉褒貶(きよほうへん)にもてあそばれた方だが、ただ一つ、俳聖芭蕉と、あの世の隣組になれたことは、今日そこを訪う遊子にとっても、何か、気もちの救われるような感じを持たれるにちがいない...
吉川英治 「随筆 新平家」
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