...容易に一芸を修める事は出来ぬと云ふ意味である...
芥川龍之介 「雑筆」
...私が言語学を修めると聞いて...
伊波普猷 「「古琉球」自序」
...カントが絶対善を説いて而して自己を修めるというのと全く似ているようである...
大隈重信 「始業式訓示」
...されば博物学を修めると自然の美なる部分を知ることもますます深くなるが...
丘浅次郎 「いわゆる自然の美と自然の愛」
...精神科学を修める人々にもともどもこれを研究してもらいたいと望むのである...
丘浅次郎 「誤解せられたる生物学」
...其の中でも特に生物学科は人間をも含む生物界を研究して自然に於ける人類の位置を明にする特殊の学科であるから凡そ人間に関する学問を修める人々には...
丘浅次郎 「人類の誇大狂」
...われらはこの方面の学科を修める人々に向かって...
丘浅次郎 「生物学的の見方」
...何学問を修める者も...
丘浅次郎 「脳髄の進化」
...初め予備門に入つた頃は未だ何の専門を修めるとも決定しては居なかつたが...
丘浅次郎 「落第と退校」
...馬術を修めるのであった...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...徳を修めることのみであつた...
蜷川新 「天皇」
...身を修めるとかいふやうな工夫も全くこれを否認しただ聖人の道を行へばそれで善いといふ処はよほど豁達(かったつ)な大見識で...
正岡子規 「病牀六尺」
...もし自分が奮発して遣つて見ようといふものがあるならば二芸でも三芸でも修めるが善いであらうと思ふ...
正岡子規 「病牀六尺」
...道を修めるには何うしても苦行を爲さなければならぬ...
松本文三郎 「世界に於ける印度」
...勘定方などの人は初歩を修める必要から自然に趣味を感じてきたと思われるが...
三上義夫 「文化史上より見たる日本の数学」
...身を修めることは社会において働くために要求されているのである...
三木清 「哲学入門」
...神学を修めるのは...
森鴎外 「かのように」
...念仏を同行の者の間だけで他には秘して修める行(ぎょう)であります...
柳宗悦 「手仕事の日本」
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