...(余年を)楽しむ - Enjoying one's remaining years....
...彼は余年を過ごした...
...余年を持たせてくれ...
...余年を過ごすために貯蓄する...
...彼女は余年を生きるために健康に気を配っている...
...今からは七十余年以前に当るのです...
石原純 「メンデレーエフ」
...興(きやう)に入る事甚し』(本書は漢文也)件(くだん)の元久二年乙丑より今天保十一年まで凡六百三十余年を歴(へ)て...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...十余年前の一月半ばのある寒い日の夕方...
橘外男 「生不動」
...同窓の顔が寄り合った機会に彼女たちの十余年昔の笑いが復活したのではないかと思われて...
寺田寅彦 「柿の種」
...二十余年の昔、いろいろこういう種類のことを考えていたころに、何よりもまずわが国に特有で子供の時からなじみの深い「金米糖(こんぺいとう)」というものの形が自分の興味を引いた...
寺田寅彦 「自然界の縞模様」
...二百余年来我国の人貴国留居の恩恵を謝し奉らんがために...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...数(かぞう)れば今より十余年ほど前の事に相なり候...
永井荷風 「榎物語」
...「これは日蓮自身もいっています――世には王に悪(にく)まるれば民に悪まれない、僧に悪まれる時は俗に味方がある、男に悪まれても女には好まれ、愚痴の人が悪めば智人が愛するといったふうに、どちらかに味方があるものだが、日蓮のように、すべて悪(にく)まれる者は、前代未聞にして後代にあるべしともおぼえず……生年三十二より今年五十四に至るまで、二十余年の間、或いは寺を追い出され、或いは所を追われ、或いは親類を煩(わずら)わされ、或いは夜打ちにあい、或いは合戦にあい、或いは悪口(あっこう)かずを知らず、或いは打たれ、或いは手を負う、或いは弟子を殺され、或いは首を切られんとし、或いは流罪(るざい)両度に及べり、二十余年が間、一時片時も心安き事なし――『日本国ハ皆日蓮ガ敵トナルベシ――恐レテ是ヲ云ハズンバ、地獄ニ落チテ閻魔(えんま)ノ責ヲバ如何(いかん)セン――』これですから堪りません、悪(にく)まれます――しかし、駒井さん、薄っぺらの、雷同の、人気取りの、おたいこ持ちの、日和見(ひよりみ)の、風吹き次第の、小股すくいの、あやつりの、小人雑輩の、紛々擾々(ふんぷんじょうじょう)たる中へ、これだけの悪まれ者を産み出した安房の国の海は光栄です...
中里介山 「大菩薩峠」
...余、当時汎瀾(はんらん)トシテ之ヲ聞キ未ダソノ意ヲ得ズ、爾後十余年、海内(かいだい)ニ周遊シテ斯ノ技ヲ試ミ、初メテ栄辱悲歎ノ心、診察吐下ノ機ヲ妨グルコトヲ知ル――」ここまで朗々と誦(ず)し来って、また前章に舞い戻ったものと覚しく、「中古ニ隠士徳本ナル者アリ、甲斐ノ人也...
中里介山 「大菩薩峠」
...二十余年後の今日(こんにち)までも...
夏目漱石 「永日小品」
...その他文法に於ける一の語尾の変化に就いて二十余年間も研究した人がある...
新渡戸稲造 「教育の目的」
...……私は十余年前...
原民喜 「かげろふ断章」
...「みどうの家は、百三十余年、武田家再興のために、代々、肝胆をくだいて来た、ここに集まった者もみな、そのことのために、すべてを耐え忍んで来た、みんなは、お祖母さまのとき、その機会があったのを、知っておいでだろう、お祖母さまの見込みがちがって、慶安の事は失敗した、こんどは二度めだというばかりでなく、お祖母さまのときとは、比べようもないほど、手を尽し、法を尽してきた、それはみんなも、この権之丞から、聞いたと思う」こう云いながら、登世は、舞台のすぐ下にいる、部将すがたの男を、指さした...
山本周五郎 「山彦乙女」
...まさに春秋二十余年...
吉川英治 「雲霧閻魔帳」
...漢室四百余年の末...
吉川英治 「三国志」
...千余年の久しい時の流れは...
吉川英治 「三国志」
...むかし――二十余年前には...
吉川英治 「新書太閤記」
...――以後二十余年の後...
吉川英治 「新書太閤記」
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