...洪積層は地層の一つで、古代地球上での川の堆積物からできています...
...代地(だいち)の待合の女将(おかみ)が一人来ていたが...
芥川龍之介 「老年」
...つまり、火事で焼けてしまっては何も残らないことになりますから――まず雷門を起点にして、現今の浅草橋(浅草御門(ごもん)といった)に向って南に取って行くと、最初が並木(並木裏町が材木町)それから駒形(こまがた)、諏訪町、黒船町(くろふねちょう)、それに接近して三好町(みよしちょう)という順序、これをさらに南へ越すと、蔵前(くらまえ)の八幡町、森田町、片町(かたまち)、須賀町(すがちょう)(その頃は天王寺ともいった)、茅町(かやちょう)、代地、左衛門河岸(さえもんがし)(左衛門河岸の右を石切(いしきり)河岸という...
高村光雲 「幕末維新懐古談」
...たとえば、この前お話したように、札差(ふださし)の中では、代地の十一屋、天王橋の和泉屋喜兵衛、伊勢屋四郎左衛門など、大商人では日本橋大伝馬町の勝田という荒物商(これは鼠の話の件(くだり)で私が師匠の命で使いに参った家)、山村仁兵衛という小舟町の砂糖問屋、同所堀留大伝(砂糖問屋)、新川新堀の酒問屋、吉原(よしわら)では彦太楼尾張、佐野槌、芸人では五代目菊五郎、市川小団次、九蔵といった団蔵(だんぞう)、それから田舎の方では野田の茂木醤油(しょうゆ)問屋など、いずれも上華客(じょうとくい)の方でありました...
高村光雲 「幕末維新懐古談」
...浅草代地河岸稲垣にて清元香風会さらひあり...
永井荷風 「断腸亭日乗」
...以前代地河岸(だいちがし)に囲って置いた自分のお妾の事を思い出すのである...
永井荷風 「雪解」
...代地河岸に囲ってあったお妾のお沢は元の芸者の沢次(さわじ)になった...
永井荷風 「雪解」
...橋を渡って代地あたりの闇に消えてしまいました...
中里介山 「大菩薩峠」
...代地のお秀は、お靜と同じ年の二十四、物の影のやうに靜かで、そのくせ傍に寄るほどの男に、情熱の體温を感じさせずには措かない不思議な肌合ひの女です...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...代地のお秀の家へ行くと...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...鴎洲館とかいう、蔵前代地の、お船蔵近くの大きな貸席で、代言人の大会があった時、意見があわないとて、父の立つ演壇へ大勢が飛上って来て、真鍮(しんちゅう)の燭台で打ちかかるものや飛附いてくるものを、父は黒骨の扇――丁度他家からおくられた、熊谷直実(くまがいなおざね)の軍扇を摸したのだという、銀地に七ツ星だか月だかがついていたものだ――をもっていて身をふせいだのを、撃剣(げっけん)の方の手がきいているので鉄扇(てっせん)をもっているのかと思い、死(しに)もの狂いで噛(か)みついたりひっかいたのであった...
長谷川時雨 「西洋の唐茄子」
...小松川鶴御飼場の図面と代地の地理に通じおるお鷹匠をひとり拝借する手はずにいたしておいた...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...「御成りイ」という声とともに行列は早くも代地の木橋へかかる...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...浅草代地河岸の圓朝の宅...
正岡容 「圓太郎馬車」
...もうそこが代地河岸で...
正岡容 「下町歳事記」
...浜町や代地、駒形河岸の生活なども私のことにしたら生涯に一ぺんはぜひぜひ試み度いとおもつてゐるうち、それらの町々は灰燼に帰し、私自身も亦南北や春水の文学をおもはせる下総市川の里へ永住の居を建造してしまつたので先づ先づそれらの野望は最早一生遂げられまいし、また今日ではもはや格別に遂げ度くもない...
正岡容 「東京万花鏡」
...代地に名うての待合(まちあい)朝倉(あさくら)の戸口を開けて...
森鴎外 「そめちがへ」
...代地の権内(ごんない)の住居(すまい)が...
吉川英治 「雲霧閻魔帳」
...お代地(かえち)としてお上(かみ)からいただいたのをよいことにして...
吉川英治 「鳴門秘帖」
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