...六日、丁酉、晴、亥剋大地震...
太宰治 「右大臣実朝」
...中央公論)六 干支の効用去年が「甲戌(きのえいぬ)」すなわち「木(き)の兄(え)の犬(いぬ)の年」であったからことしは「乙亥(きのとい)」で「木(き)の弟(と)の猪(い)の年」になる勘定である...
寺田寅彦 「自由画稿」
...亥刻(よつ)半(十一時)頃...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...亥刻(十時)に歸つた時は...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...もう亥刻(よつ)半ですぜ」ガラッ八は少し睡(ねむ)そうでした...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...フラリと平次の家へ来たのは亥刻(いつつ)(午後八時)少し過ぎ...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...亥刻(よつ)(十時)少し前だろうよ...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...それが丁度亥刻(よつ)(十時)――上野の鐘が騷ぎの中を縫つて...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...「豐駒の師匠なんか現に狼の姿を見たと言つて居ますよ」「そいつは何時のことだ」「一昨日の晩の亥刻(よつ)(十時)過ぎ――」「月はなかつた筈だな...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...この亥刻(よつ)過ぎの客を迎へ入れました...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...昨夜は亥刻(よつ)前に歸つたといふぜ...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...昨夜は亥刻(よつ)(十時)過ぎに來ることになつて居りました...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...)より船を出して戌亥の方に向て遣り(凡四十リといへり...
松浦武四郎 「他計甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57](竹島)雜誌」
...したがって近代普通に亥歳の獣は野猪と心得...
南方熊楠 「十二支考」
...其長子が米庵(べいあん)三亥(がい)...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...瀬戸内海の対岸でも四国の愛媛県もたしか亥の子石であった...
柳田国男 「故郷七十年」
...大倭朝(やまとちょう)天平宝字(てんぴょうほうじ)三年(ねん)癸亥(きがい)五月(がつ)於(おいて)二西海(さいかい)火国(ひのくに)末羅潟(まつらがた)法麻殺几駅(はまさきえきに)一大唐(だいとう)翰林学士(かんりんがくし)芳九連(ほうきゅうれん)二女(じょ)芬(ふん)識(しるす)という文字を二三度繰り返して読んで...
夢野久作 「ドグラ・マグラ」
...女にはやさしい摂津守もやや色を作(な)して――「何が亥十郎の勘ちがいか...
吉川英治 「黒田如水」
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