...あの偉大なる露西亞人に比べると...
石川啄木 「硝子窓」
...何れも皆「非戰論は露西亞には適切だが...
石川啄木 「トルストイ翁論文」
...化物(ばけもの)の策源地(さくげんち)は亞細亞(あじあ)の南方(なんぱう)であることが分(わか)るのである...
伊東忠太 「妖怪研究」
...亞細亞は已に人種的結成躰にあらず...
竹越三叉 「世界の日本乎、亞細亞の日本乎」
...日本が嘉永六年亞米利加のペルリに迫られていや/\ながら國を開いたのでありますが...
竹越與三郎 「日本の眞の姿」
...かくて單に信仰に關することがらにおいて聖なる公會議に亞いで諸賢の團體ほど信頼せられてゐるおよそいかなる團體も存しないのみでなく...
デカルト Renati Des-Cartes 三木清訳 「省察」
...文化己巳來航和蘭人ヤンコツクブロムホフ其國語に通ずるに因て我譯家肇て彼言詞習得するを得たり辛未の春諳厄利亞興學小筌を譯述し我黨小子に援け外警に備ふ幸に九月言語集成譯編の命あり於斯彼言詞を纂集し旁和蘭陀佛蘭西の語に參考飜譯して遂に皇國の俗言に歸會して是に配するに漢字を以てす」云々...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...此度魯西亞出帆の翌々日...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...小説家スタンダルはナポレオンに從つて共に魯西亞(ロシア)の都から退却した佛蘭西人である...
永井荷風 「新歸朝者日記」
...最初伊太利亞大使館(イタリヤたいしくわん)にてお目にかゝりし時...
永井荷風 「新歸朝者日記」
...「亞米利加には女の聲が二種類ある...
成瀬無極 「「トンネル」に就いて」
...東亞に於て、今日それは我日本の外にない...
西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
...露西亞人や波蘭人らしい名前ばかりの竝んでゐる下へ自分の名前をぶきつちよな羅馬字で書きつけてゐるうちに...
堀辰雄 「旅の繪」
...――露西亞人のそれのやうに...
ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳 「巴里の手紙」
...再びサロメ夫人と共に露西亞へ放す...
堀辰雄 「リルケ年譜」
...世界の宗教に一番廣く大なる影響を與へたものは印度の密教である、日本では弘法大師が眞言宗の一派を開かれましたが、密教の思想は弘法大師の創作に係る譯ではない、元は支那にあり、而して支那の元は印度から來て居るのである、印度では色々な原因がありますけれども、是れは餘り專門的の事に渉りますから略しますが、兎に角密語といふものが古くから唱へられた、密語といへば何か一種の神變不可思議の意味をもつて居る語があるやうに考へられますが、是れは西洋のアルハベツト、日本のイロハ五十音に於て、一字々々に祕密の意味がある、是れを密語といつたのである、例へば A、アといふ字は一切法本より生ぜず、イといふ字は一切法根得べからず、ウといふ字は一切法比喩も得べからず等といふ意義があるので、總て五十音に於て、一字々々一定の祕密の意味が定まつて居るのである、是れは佛教に於ても大變大切な事であつて、此の祕密の意味を聽いたり讀んだり覺えたり、又他の人に説いたりすると、二十の功徳があるといふ、其の内には大變覺え宜くなり、智惠を得或は衆生の語を知ることが出來、或は又天耳、或は宿命、或は生死通を得といふ、斯樣な功徳が二十も列擧してある、而して此の密語の中に於ても、弘法大師の立てられた眞言では、吽といふ字が最も大切なものとなつて居るが、バラモン教に於いてはが最第一である、と吽との字の起りは違ふが、後には印度でも同一と看做さるるやうになつて、吽或はは眞言中の眞言、密語中の密語と稱へられてある、所が此密語なるものが、第一に回教に傳はつて、其の聖典のコーランと云ふ經文に顯はれて居るである、同書の中には章の初めに A.L.M といふ字が屡次繰り返し出て居る、是迄は何の事か色々と解釋をして見たが畢竟不得要領で判らなかつた、近頃段々研究した所が、是れは回教の方からは判らぬ筈で、元來回教から出た所のものではなく、印度から受繼いだ所の密語であることが判つた、是れは即ち前にいつた、OM 又 AUM の字である、併しAとMとは同じであるが唯中の字が違ふ、UがLとなつて居る、是は何故かといふに、亞拉比亞語に於てLがAによつて先だたれる時にはUの音となるといふ規則がある、其處で亞拉比亞人はアウムの三字を採つて來たのであるが、自國の語の法則に由つて、Lと書いたのである、斯うすると能く判つて來る、ツマリ印度の所謂密語が亞拉比亞に傳はつて回教の中に這入つたのである、で亞拉比亞人も自分だけの智識では到底其意味の説明は附かなかつた、マホメツトの回教の出來たのは、紀元後六百年の初めで、此時代は印度佛教の次第に衰へバラモン教の勢力が盛となり、佛教も亦漸く彼と同化せんとした時である、で第七世紀の頃に傳はつたニポール、西藏の佛教が、矢張りを非常に大切な密語と看做して居るのを見ても、其の亞拉比亞に傳はつて往つたのは敢て怪むに足らぬ、夫から又カバラーといふ宗教がある、是れは猶太教の内の密教で紀元後二世紀から出來、初め小亞細亞の間に行はれてあつたが、段々歐羅巴に流布し、到る處に行はれるやうになつた、此の密教に於ても一つ不思議な事がある、即ち此教ではヘブリユー語のアルハベツトに一々密意義を與へ、而して以て色々の説明をやつて居るのである、唯一つ/\の文字のみならず、數多の文字から成立つて居る語全體に更に纒つた密義を附けると云ふ點が印度と少し違つて居る、例へばエデンの園、Gnedn といへば此の音字一つ/\に就て密義といふものがあり、而して全體に於て又纒つた密義がある、印度に於ては一字々々の密義はあるが語全體に纒つた密義はない、但し其の密義の出來やうは全く印度のと同じである、即ちアとかイとかいふ字音を頭にもつて居る語の内で、道徳的、宗教的の意義あるものを考へ之を其の密義としたに過ぎない、所が此のカバラーの解釋法は今日尚歐羅巴に於て見ることが出來る、丁度謎のやうなもので、例へば Menu(西洋の食卓の獻立書)といふ字があれば、戯れに之を解釋してMといふ字は即ち Mann(人)E といふは Esse 即ち(食)N といふは Nicht(否定の文字)Uといふは Unmssig(過度)の義である、だから獻立書といふ字はツマリ食つて其の度を失はざれといふ意義であると、斯ういふ風に解釋するので、是れは單に席上のお慰みであるが、兎に角カバラーの解釋の今に存するのであることは明らかである、其の他カバラーは印度思想と密接な關係を有して居つて、修行者は禪定三昧に入つて、我を忘れてしまはなければならぬ、然うすると神變不可思議力を得、初めて解脱の境に入ることが出來るといふやうなことも説いて居るので、此等の點は全く印度の思想と同じである、それであるから印度の密教は印度を中心として起つて、東北はニポール、西藏、支那、日本にも渉り、西は亞拉比亞、小亞細亞からして歐羅巴全體に擴つたのである、實に密教、即ち印度の思想は世界の宗教に向つて多大の影響を與へた...
松本文三郎 「世界に於ける印度」
...露西亞にゐて肺結核になる...
森林太郎 「長谷川辰之助」
...魯西亞行の勞を問ひ慰めて後...
森鴎外 「舞姫」
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