...そこには五十嵐が何喰わぬ顔で待っていた...
海野十三 「柿色の紙風船」
...五十嵐は頻りに讃める...
高濱虚子 「俳諧師」
...其後は五十嵐も前程氣が上らなくなつて時々長い體を八疊の座敷一杯に延ばして天井を見詰めて居る事もあつたが...
高濱虚子 「俳諧師」
...)五十嵐に似合はん猫を被つた穩かな文句が竝べてある...
高濱虚子 「俳諧師」
...表の戸ががらりと開いて其處へぬつと立つたのは五十嵐である...
高濱虚子 「俳諧師」
...二十五五十嵐は不思議な眼附をして此一座を見る...
高濱虚子 「俳諧師」
...うんと苦しむがいゝさ」と蓬亭は底力のある聲で十風に言つてそれから三藏の方を振向き「五十嵐はこれでも未だ自分で苦しむだけの勇氣があるが...
高濱虚子 「俳諧師」
...この南条と五十嵐と二人の話しぶりは傍若無人(ぼうじゃくぶじん)でありました...
中里介山 「大菩薩峠」
...五十嵐はその火を盛んにするようにつとめていましたが...
中里介山 「大菩薩峠」
...南条と五十嵐とは椅子に腰をかけたまま...
中里介山 「大菩薩峠」
...「なるほど」五十嵐はそれを聞くと...
中里介山 「大菩薩峠」
...南条の先生、こいつも焼けていますぜ、五十嵐の先生、もう一ついかがでございます」と言って、木の枝をうまく渡して、焚火に燻(く)べておいた餅を片手で摘(つま)み上げ、「碓氷峠の名物、碓氷の貞光の力餅というのがこれなんでございます」得意げに餅を焼いて、二人にすすめ、「何しろ源頼光の四天王となるくらいの豪傑ですから、碓氷の貞光という人も、こちとらと違って、子供の時分から親孝行だったてことでございますよ...
中里介山 「大菩薩峠」
...横川の関所は何時(なんどき)に開くのじゃ」五十嵐が言いますと...
中里介山 「大菩薩峠」
...五十嵐らにつかまってその用を為すに至り...
中里介山 「大菩薩峠」
...当然五十嵐甲子男でなければならぬ...
中里介山 「大菩薩峠」
...瘠(や)せても、枯れても、徳川親藩第一の尾州家――それが、この城を築くために甘んじて犠牲の奉公をつとめた落日の豊臣家時代の加藤清正ほどの潜勢力を持合せていないことは、尾州藩のためにも、天下のためにも、幸福かも知れないのだ」「そうさ、頼みになりそうでならない、その点は、表に屈服して、内心怖れられていた、当時の加藤清正あたりの勢力とは、比較になるものではない」「思えば、頼みになりそうでならぬのは親類共――水戸はあのザマで、最初から徳川にとっては獅子身中(しししんちゅう)の虫といったようなものだし……紀州は、もう初期時代からしばしば宗家に対して謀叛(むほん)が伝えられているし、尾張は骨抜きになっている」「かりに誰かが、徳川に代って天下を取った日には、ぜひとも、加藤肥後守清正の子孫をたずね出して、この名古屋城をそっくり持たせてやりたい」こうして南条と、五十嵐とは、城を睨(にら)みながら談論がはずんで行き、果ては自分たちの手で、天下の諸侯を配置するような口吻(こうふん)を弄(ろう)している時、少しばかり離れて石に腰をおろし、お先煙草で休んでいたがんりきの百蔵が、思いきった大きなあくびを一つしました...
中里介山 「大菩薩峠」
...それを貴様は同郷人だと言いながら、言語道断にこき卸す、奇怪(きっかい)な奴だ――」百六十六南条力がこう言ってよたとんを睨(にら)みつけると、五十嵐甲子雄も、おさえ難い義憤を感じていたと見えて、「いかにもいかにも、あれだけの人物を、単にただ日傭取(ひようと)りのお雇い壮士のようにこき卸すのは、近藤に対する侮辱のみではない、天下の豪傑に対する冒涜(ぼうとく)だ...
中里介山 「大菩薩峠」
...共産党で落選した旭川の五十嵐久弥君(日共上川委員長...
服部之総 「望郷」
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