...その次に四至説に就きて試みに考へて見ると、禹貢には「東漸于海、西被于流沙、朔南曁、聲教訖于四海」とあるが、この四至説も隨分種類が多い...
内藤湖南 「禹貢製作の時代」
...且侯(そていこう)単于とて先代の犁湖(くりこ)単于の弟だが...
中島敦 「李陵」
...単于(ぜんう)の幕下(ばっか)には...
中島敦 「李陵」
...単于(ぜんう)の庭(てい)に呼戻されたとき...
中島敦 「李陵」
...名聞于時...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「云昨留于川崎駅」と書してある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...その肥後の聘を却(しりぞ)けて骸骨を乞うた時、「吾帰于此十年、所天三喪、不可以移矣」と云つてゐる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...推するに霧渓二世瑞仙の所謂「嘗游于藝華時...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...葬于本所法恩寺内善行寺...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...葬于光照院(くわうせうゐんにはうむる)...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...知下我不レ羞二小節一而恥中功名不上レ顯二于天下一也...
司馬遷 箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...また官人貴紳の家の代表として若林先生が前奉天商務総弁于沖漢氏の邸園を見せられた...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...受命于天(めいをてんにうく)既寿永昌(きじゅえいしょう)「……とございましょうが」「むむ」「これはむかし荊山(けいざん)のもとで...
吉川英治 「三国志」
...「于禁(うきん)が謀叛を起して...
吉川英治 「三国志」
...于禁へ手をさしのべ...
吉川英治 「三国志」
...あの武者ぶりの良さを――」と、曹操は、ほれぼれと見送っていたが、つき従う李典(りてん)、于禁(うきん)、許(きょちょ)などは、口を極めて、怒りながら、「なんたる傲慢(ごうまん)」「恩賜(おんし)の袍(ほう)を刀のさきで受けるとは」「丞相のご恩につけあがって、すきな真似をしちらしておる」「今だっ...
吉川英治 「三国志」
...四、于禁(うきん)...
吉川英治 「三国志」
...淳于導(じゅんうどう)という猛将があった...
吉川英治 「三国志」
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