...漢于仁(かんうじん)君」いきなり漢青年の背後から声をかけたものがあった...
海野十三 「西湖の屍人」
...之と相應じて同じく疑問とすべきは爰粤于那都於也との一節である...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...設都于禹之績...
内藤湖南 「支那歴史的思想の起源」
......
中島敦 「李陵」
...単于麾下(きか)の諸将とともにいつも単于に従っていた...
中島敦 「李陵」
...現に半年前の軍にも、単于に従って、(問題の公孫敖(こうそんごう)の軍とではないが)漢軍と戦っている...
中島敦 「李陵」
...単于(ぜんう)は彼らを殺そうとはしないで...
中島敦 「李陵」
...同日の條武州者着于手越驛云々また今日晩景秀澄自美濃國(去十九日遣官軍所被固關方之也)重飛脚於京都申云...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...元久二年六月廿一日の條に牧御方請朝雅(去年爲畠山六郎被惡口)讒訴、被鬱胸之、可誅重忠父子之由、内々有計議、先遠州被仰此事於相州並式部烝時房主等、兩客被申云、重忠治承四年以來、專忠直間、右大將軍依鑒其志給、可奉護後胤之旨、被遺慇懃御詞者也、就中雖候于金吾將軍御方、能員合戰之時、參御方抽其忠、是併重御父子禮之故也(重忠者遠州聟也)而今以何憤可令叛逆哉、若被弃度々勳功、被加楚忽誅戮者、定可及後悔、糺犯否之眞僞之後、有其沙汰、不可停滯歟云々同廿三日の條にも相州被申云、重忠弟親類大略以在他所、相從于戰場之者、僅百餘輩也、然者企謀反事、已爲虚誕、若依讒訴逢誅戮歟、太以不便、斬首持來于陣頭、見之不忘年來合眼之眤、悲涙難禁云々とあり若此等の記述にして事實ならば、義時が重忠を以て忠孝節烈の士となしこれを敬愛しこれを辯護すること至れりといふべし...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...名聞于時...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...嘗游于藝華時、妾挙一男二女...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...携母遊于安藝厳島...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...先生嘗得列官于朝(せんせいはかつてくわんをてうにれつすることをう)」と書してある...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...宵から注意していた副将の于禁(うきん)...
吉川英治 「三国志」
...于吉(うきつ)をひき出せ」主君の命令に...
吉川英治 「三国志」
...于禁(うきん)一族や七手の大将が...
吉川英治 「三国志」
...スタインの『古于(コータン)』の中の写真に...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...従って于から東帰する彼の旅行には...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
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