...菊岡久利の詩が、記憶を可なり無雑作に書き付けてゐる場合にも、猶一貫した流れを見せる所以のものは、彼のその克己が、彼の遠近法を乱すことがないからである...
中原中也 「菊岡久利著「貧時交」」
...お国(くん)ちゃんはあたしとおみき徳久利(どっくり)のように...
長谷川時雨 「源泉小学校」
...下町ではよく阿久利という名をつける...
長谷川時雨 「大丸呉服店」
...ポンポチ米を徳久利(とっくり)で舂(つ)きながら勉強してやがるんだ...
長谷川時雨 「朝散太夫の末裔」
...「搗栗(ウチクリ)加知久利(カチクリ)ト訓ズ...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...服部伸演ずる一心太助の喧嘩場に見られるやうな大鮪引摺つて歩く久利加羅紋々の兄イたちも歩いてゐたらう...
正岡容 「大正東京錦絵」
...久利(くり)の二女を載するのみである...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...久利の生年は記載して無い...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...そして久利の生れたのが十年の後なることを知つた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...季を久利と云つて...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...榛軒の三女久利(くり)は此年に生れたが...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...久利は後幾(いくばく)もなくして世を早うする女(むすめ)である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...此年榛軒三十四、妻志保三十八、女(ぢよ)柏三つ、女久利一つ、柏軒と妻俊とは二十八、蘭軒の女長二十四、蘭軒の姉正宗院六十七であつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...七月二十日に榛軒の次女久利が三歳にして歿した...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」天保己亥に歿した榛軒の女(ぢよ)久利(くり)である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...當時の仙石家は但馬國出石郡(たじまのくにいづしごほり)出石の城主仙石道之助久利(ひさとし)の世である...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...鏡作・加々都久利という例は大和の郷名にもあるから...
柳田國男 「地名の研究」
...今月の「文藝首都」に、菊岡久利氏が、西銀座の並木横丁で、十人の青年をおき、牛めし屋を開業したとか、欄外記事に見えた...
吉川英治 「折々の記」
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