...「丹後国は京都府の北部に位置している...
...「丹後国の特産品は穴子だ...
...「私の祖父は丹後国出身です...
...「日本の古い地名で、丹後国は今の京都府北部にあたる...
...「丹後国には美しい海岸線が沿っている...
...所の役人丹後の人や居(を)ると旅店毎(やどやごと)にきびしくたづねしゆゑ...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...いまひとりは式部の同役森岡丹後の三人の男の子の中の末子丹三郎とて十六歳...
太宰治 「新釈諸国噺」
...内山は丹後守から預かって来た「引落し式」の拳銃を七兵衛のうしろから差向けて...
中里介山 「大菩薩峠」
...植田丹後守に召使われた男や女たち...
中里介山 「大菩薩峠」
...晝過ぎに田熊丹後樣」「奧は覗いて見なかつたのか」「飛んでもない...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...「旗本旗野丹後守樣のお小間使が...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...禪宗の山陰道に落莫なるは、淨土宗の場合と同じである、して見れば、丹後、但馬、因幡、伯耆の四ヶ國は、京都から左程遠くないにも拘はらず、鎌倉時代には天然の不便から、自ら別境をなして居て、一般に注意を惹く度に於て、奧州などにすら及ばなかつたのかも知れぬと思はれる、唯山陰道に於て禪僧の活動として見るに足るものは、法燈國師の弟子の三光國師の、鎌倉時代の末に出雲に活動したことのみである、山陽道は京都から九州に通ずる大道であるけれども、淨土宗の場合に於て見えたと同樣、當時は九州に赴くに主として海路を利用したものゝ如くで、播磨を除いて、其以西備中までは、あまり禪宗の影響を受けて居らず、備後以西に於て始めて其痕跡を見る、三光國師も淨土僧と同樣備後から出雲へ入つたらしい、宗派から云へば播磨には臨濟も曹洞も混入して居るけれど、備後以西は臨濟のみであつた...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...徳川將軍家に對しては金澤丹後たり...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...丹後の由良(ゆら)という所でひどいめにあったことがあったから...
柳田國男 「日本の伝説」
...丹後から京都路へ追いかけて来たが...
吉川英治 「剣難女難」
...玄蕃が元指南番の職を奉じていた宮津の城主京極丹後守が今度江戸詰(づめ)となって出府したという噂を聞いた...
吉川英治 「剣難女難」
...「この方は京極丹後の重役村松瀬兵衛と申す者...
吉川英治 「剣難女難」
...京極丹後守の家中を代表する某剣客と松平忠房の方からすぐり出された某(なにがし)とが...
吉川英治 「剣難女難」
...丹後国船井ノ庄ヲ宛(ア)テ行(オコナ)ハルベシ賞ハ...
吉川英治 「私本太平記」
...丹後一郡の賞がかけられたとは...
吉川英治 「私本太平記」
...敵の情勢をさぐって帰った勝頼の側衆(そばしゅう)小原丹後(おはらたんご)が息喘(いきせ)いて今朝告げて来たことである...
吉川英治 「新書太閤記」
...総軍十万といわれ、その旗幟を国別に見ると、尾張、美濃、伊勢、丹後、若狭(わかさ)、因幡(いなば)、越前、加賀、能登(のと)の九ヵ国にわたっている...
吉川英治 「新書太閤記」
...その方面でも高山右近や池田丹後などキリシタン武士の武功が相当に目立った...
和辻哲郎 「鎖国」
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