...「丹後国は京都府の北部に位置している...
...「丹後国の特産品は穴子だ...
...「私の祖父は丹後国出身です...
...「日本の古い地名で、丹後国は今の京都府北部にあたる...
...「丹後国には美しい海岸線が沿っている...
...所の役人丹後の人や居(を)ると旅店毎(やどやごと)にきびしくたづねしゆゑ...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...丹後の水江(みづのえ)とかいふところに實在してゐたやうである...
太宰治 「お伽草紙」
...所の役人より丹後の人は居ずやと頻りに吟味せし事あり...
太宰治 「津軽」
...「これは仕合(しあわ)せなことじゃ、どうか暫らくこの道場を預かっていただきたい」丹後守は、道場へ出て竜之助の試合ぶりを見てこう言うた――この道場にはべつだん誰といって師範者はないけれど、丹後守の邸には、召使のほかに、いつも五人十人の食客(しょっかく)がいる...
中里介山 「大菩薩峠」
...いま天下に行われる当流の槍は、この中村の流れを汲むが多いということである」案内の僧は慣れていると見えて、息をもつがず滔々(とうとう)と述べ立てましたから兵馬は、「このあたりにて、宝蔵院流の槍をよくする御仁(ごじん)は誰々でござろうな」と尋ねてみると、「さればさ……」案内の坊さんは少しく首をひねり、「当今、伊賀の名張(なばり)に下石(おろし)というのがある、これに宝蔵院流正統が伝わっているという話じゃ、愚僧(わし)は詳しいことは知らぬ、それにまた、術の妙を得た人には、この近いところ――」坊さんは顋(あご)で、南の方をしゃくって、「三輪大明神の社家(しゃけ)に、植田丹後守というのがござる、これが当流の槍をなかなかよく使うそうじゃが、これもいっこう噂(うわさ)ばかりで、誰もその実際を見たものはないと申すことじゃ」「何と申されました、三輪大明神の社家で、植田丹後守殿?」「左様、植田丹後守...
中里介山 「大菩薩峠」
...これを植田丹後守に見つかって...
中里介山 「大菩薩峠」
...丹後の迎摂房(こうしょうぼう)も却って弟子となって浄土の往生をとげた...
中里介山 「法然行伝」
...丹波路何鹿(いかるが)の和知(わち)のみ溪の八十村に名に負ふ栗山いまだはやけむ丹後舞鶴の港より船に乘りて宮津へ志す眞白帆のはらゝに泛ける與謝の海や天の橋立ゆほびかに見ゆ二十三日...
長塚節 「長塚節歌集 中」
...安倍丹後守(あべたんごのかみ)様の御墓じゃ...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...丹後守樣の御墓を守り乍ら...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...まだ紙の色もまあたらしい白地に赤二引の丹後縞のけん凧がブラさがって...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...「初夏三日、与諸君取道湖西、抵越前角鹿津、与河池二君別、余輩経若狭、入丹後、観天橋、踰大江山帰、往来十有五日」と、樵歌に記してある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...丹後紀伊などと似ていた...
柳田国男 「雪国の春」
...――丹後さま一味が本当に悪事をおこなっているのなら...
山本周五郎 「ちくしょう谷」
...丹波丹後二藩の士民を沸騰(ふっとう)させた桔梗河原の大試合に...
吉川英治 「剣難女難」
...丹後宮津の町は祭りのような騒ぎであった...
吉川英治 「剣難女難」
...出石に滞在している自斎の許へ使者にやった重役溝口伊予(みぞぐちいよ)の帰城を待ち兼ねていた丹後守は...
吉川英治 「剣難女難」
...明夕溝口家から丹後守の屋敷へ玄蕃が出向く途中を待って仇討いたしくれいという先方の頼みじゃ...
吉川英治 「剣難女難」
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