...また乙の女には与え得べからざるものを丙の女に...
大杉栄 「男女関係について」
...十三日、丙午、関東の諸御領の乃貢の事、来秋より三分の二を免ぜらる可し、仮令ば毎年一所づつ、次第に巡儀たる可きの由、仰出さると云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...四日、丙午、快霽、尼御台所御上洛...
太宰治 「右大臣実朝」
...寓所ハ牛込矢来町(やらいちょう)三番地字(あざ)中ノ丸丙六〇号」とある...
寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
...安政三年丙辰(へいしん)七月...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...丙種、すなわち日給をもらってただ単に働く人は二十人以上あって、これは比較的最も多数だが、最も無色なのもこのやからであることを知りました...
中里介山 「大菩薩峠」
...客の中には斉にいる孟丙殿の母上の関係の方々も遥々見えているようです...
中島敦 「牛人」
...乙から丙に心を動(うご)かさぬものは...
夏目漱石 「それから」
...何時(いつ)も乙か丙をくれた...
林芙美子 「私の先生」
...再び丙の場所に移し...
正岡子規 「病牀六尺」
...丙寅三號五葉裏に黒井君は『南方熊楠氏は毘沙門の名號に就てと題して曰く「此神...
南方熊楠 「再び毘沙門に就て」
...丙寅二號の拙文は...
南方熊楠 「再び毘沙門に就て」
...しかし茶山は丙子の年に始て心づいたのではない...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...茶山が霞亭を蘭軒に紹介した乙亥の翌年丙子の秋以前に...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...錦橋が文化丙子に八十一歳で歿した時...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...わたくしは未だ慊堂日暦の丙申の部を閲することを得ない...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...正妻狩谷氏俊は丙申に来り嫁してより...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...甲乙丙丁戊それぞれがどれをどこへ戻したかわからなくなって...
山本周五郎 「思い違い物語」
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