...申の下刻をすこし過ぎたと思ふ頃には...
田山花袋 「道綱の母」
...申(さる)の下刻には中邸一面が火になって...
森鴎外 「護持院原の敵討」
...酉(とり)の下刻に西丸目附徒士頭(かちがしら)十五番組水野采女(うねめ)の指図で...
森鴎外 「護持院原の敵討」
...三人が筒井政憲の直(じき)の取調を受けて下がったのは戌の下刻であった...
森鴎外 「護持院原の敵討」
...酉の下刻に引き取った...
森鴎外 「護持院原の敵討」
...――――――――――――――――十一月二十四日の未(ひつじ)の下刻(げこく)である...
森鴎外 「最後の一句」
...夜亥(ゐ)の下刻(げこく)鎭(しづ)まる」と云つてある...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...巳(み)ノ下刻(げこく)(午前十一時)ごろ...
吉川英治 「私本太平記」
...やっと丑(うし)の下刻でしょうか」「そうか...
吉川英治 「私本太平記」
...戌(いぬ)の下刻(げこく)に集まることになっている場所だった...
吉川英治 「新書太閤記」
...夜は子(ね)の下刻(げこく)(午前一時)を過ぎていた...
吉川英治 「新書太閤記」
...まだ陽ざかりの未(ひつじ)の下刻(午後三時)頃であった...
吉川英治 「新書太閤記」
...申(さる)の刻(こく)(午後四時)から酉(とり)の下刻(げこく)(七時頃)までつづいた...
吉川英治 「新書太閤記」
...子(ね)の下刻(げこく)...
吉川英治 「新書太閤記」
...まさに子(ね)の下刻(げこく)(午前一時)の一点であったから――...
吉川英治 「新書太閤記」
...時刻にして亥(い)の下刻(げこく)から子(ね)の刻(こく)近く(午後十一時過ぎ)かと思わるる頃だった...
吉川英治 「新書太閤記」
...昨日巳(み)の下刻(げこく)...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...……九日の朝――卯(う)の下刻(げこく)...
吉川英治 「宮本武蔵」
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