...――西洋の詩に詳(くは)しいのは京都の上田敏(びん)である...
芥川龍之介 「芭蕉雑記」
...「海潮音」の訳者上田敏をもやはり古典主義者と呼ばなければならぬ...
芥川龍之介 「人及び芸術家としての薄田泣菫氏」
...のみならず僕に上田敏と厨川白村とを一丸にした語学の素養を与へたとしても...
芥川龍之介 「僻見」
...上田敏博士が訳していられたと思うが...
江戸川乱歩 「探偵小説の「謎」」
...京都御所の苑内を上田敏氏と連立つて散歩したことがありました...
薄田泣菫 「草の親しみ」
...上田敏氏はこの詩の『第三節...
薄田泣菫 「詩集の後に」
...亡くなつた上田敏氏は子供の時静岡へ往(ゆ)く道中...
薄田泣菫 「茶話」
...女中の返事10・20(夕)上田敏博士が文科大学教授として初めて京都の土を踏んだ時...
薄田泣菫 「茶話」
...ある日ひよつくり思ひ立つて岡崎にゐる上田敏博士を訪ねた...
薄田泣菫 「茶話」
...上田敏氏など有力な同情者の一人であった...
高村光太郎 「ヒウザン会とパンの会」
...独逸(ドイツ)のレクラム本が最も多かったが、また日本の森鴎外、上田敏、二葉亭四迷(ふたばていしめい)などの著作物もまじっていた...
太宰治 「惜別」
...例えば上田敏もこのタイプに近い処の大をなした人だったろう...
戸坂潤 「世界の一環としての日本」
......
永井荷風 「書かでもの記」
...上田敏先生は日本橋角の大倉はどうだらうと云はれたのですが森先生はひどく反対でした...
永井壮吉 「出版屋惣まくり」
...上田敏(うえだびん)博士(当時学士)などに紹介されて...
野村胡堂 「楽聖物語」
...本来言へば、すべての良心のある翻訳者は、小宮氏が言つた位のことは自分で訳本の序に書いている筈である、堀口大学君の如きも、その訳詩集に「失はれたる宝石」といふ題をつけてゐるし、故上田敏博士も、訳詩集を出す毎に翻訳の不可能に属することを、自ら告白して謝罪されてゐた...
萩原朔太郎 「詩の翻訳について」
...憂き十年一人の人と山小屋の素子の妹背の如く住みにき明治三十四年から十年間の晶子さんは相当世間に認められ独り歌許りではなく新訳源氏を出しては上田敏さんから紫女と才分を等しうするものと折紙をつけられ...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...たしかいちばんはじめにフォーク・ロアを訳されたのは上田敏君で...
柳田国男 「故郷七十年」
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