...そもそも私達が日常の経験では単に光速度に対し実際上無限に小さいような運動速度のみを見るのに慣れていることを思い合わせると...
アルベルト・アインスタイン 石原純訳 「相対性理論」
...凡ての理想はその本來の性質上無價値なものにならなければならない...
阿部次郎 「三太郎の日記 第二」
...吾自ら茲に諸子を迎へたるは途上無益の爭鬪なからんと願ふに外ならぬ...
伊藤左千夫 「古代之少女」
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内田魯庵 「八犬伝談余」
...三日、癸卯、小雨灑ぐ、義盛粮道を絶たれ、乗馬に疲るるの処、寅剋、横山馬允時兼、波多野三郎、横山五郎以下数十人の親昵従類等を引率し、腰越浦に馳せ来るの処、既に合戦の最中なり、仍つて其党類皆蓑笠を彼所に棄つ、積りて山を成すと云々、然る後、義盛の陣に加はる、義盛時兼の合力を待ち、新羈の馬に当るべし、彼是の軍兵三千騎、尚御家人等を追奔す、義盛重ねて御所を襲はんと擬す、然れども若宮大路は、匠作、武州防戦し給ひ、町大路は、上総三郎義氏、名越は、近江守頼茂、大倉は、佐々木五郎義清、結城左衛門尉朝光等、各陣を張るの間、通らんと擬するに拠無し、仍つて由比浦並びに若宮大路に於て、合戦時を移す、凡そ昨日より此昼に至るまで、攻戦已まず、軍士等各兵略を尽すと云々、酉剋、和田四郎左衛門尉義直、伊具馬太郎盛重の為に討取らる、父義盛殊に歎息す、年来義直を鍾愛せしむるに依り、義直に禄を願ふ所なり、今に於ては、合戦に励むも益無しと云々、声を揚げて悲哭し、東西に迷惑し、遂に江戸左衛門尉能範の所従に討たると云々、同男五郎兵衛尉義重、六郎兵衛尉義信、七郎秀盛以下の張本七人、共に誅に伏す、朝夷名三郎義秀、並びに数率等海浜に出で、船に掉して安房国に赴く、其勢五百騎、船六艘と云々、又新左衛門尉常盛、山内先次郎左衛門尉、岡崎余一左衛門尉、横山馬允、古郡左衛門尉、和田新兵衛入道、以上大将軍六人、戦場を遁れて逐電すと云々、此輩悉く敗北するの間、世上無為に属す、其後、相州、行親、忠家を以て死骸等を実検せらる、仮屋を由比浦の汀に構へ、義盛以下の首を取聚む、昏黒に及ぶの間、各松明を取る、又相州、大官令仰を承り、飛脚を発せられ、御書を京都に遣はす...
太宰治 「右大臣実朝」
...その展覧会は断然無鑑査撤廃で行くのが純理でいやしくも展覧会に拠って作品を公表する以上無鑑査制のごときは...
辰野隆 「芸術統制是非」
...併し学術上無意味な反覆であるから...
戸坂潤 「思想としての文学」
...生産技術乃至自然科学的(実用的自然哲学でもいい)と原則上無縁な発達をば永く遂げ得たものは...
戸坂潤 「再び科学的精神について」
...茶漬として淡白この上無しと...
直木三十五 「大阪を歩く」
...この上無しとされているが...
直木三十五 「南国太平記」
...ソレカラ仏蘭西を出発して葡萄牙(ポルトガル)のリスボンに寄港し、使節の公用を済(すま)して又船に乗り、地中海に入り、印度(インド)洋に出て、海上無事、日本に帰(かえっ)て見れば攘夷論の真盛りだ...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...腰巾着のモートンと被告人席に着いたら、可能性として……」「そうだな、これ以上無理だ、モートン...
フレッド・M・ホワイト Fred M. White 奥増夫訳 「鉄面皮」
...わが沒理想(形而上論上無所見)をば誰もえ破らじと誇りて...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
...謝る」ダラシない事此の上無い...
山中貞雄 「右門捕物帖 三十番手柄 帯解け仏法」
...貰うぜ」「海上無事を祝ってくんねえ...
山本周五郎 「お美津簪」
...六十四個……以上無数……という風に...
夢野久作 「ドグラ・マグラ」
...表面上無二の親友のように見せかけているが...
夢野久作 「ドグラ・マグラ」
...わけてお父上無二斎殿の御親友もここにはおるので...
吉川英治 「宮本武蔵」
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