...三厩はバスの終点である...
太宰治 「津軽」
...三厩から波打際の心細い路を歩いて...
太宰治 「津軽」
...蟹田、蓬田、平館、一本木、今別、三厩、つまり外ヶ浜の部落全部が、ここの警察署の管轄区域になつてゐる...
太宰治 「津軽」
...三厩の近くの今別から...
太宰治 「津軽」
...その翌日、私はN君に案内してもらつて、外ヶ浜街道をバスで北上し、三厩で一泊して、それからさらに海岸の波打際の心細い路を歩いて本州の北端、竜飛岬まで行つたのであるが、その三厩竜飛間の荒涼索莫たる各部落でさへ、烈風に抗し、怒濤に屈せず、懸命に一家を支へ、津軽人の健在を可憐に誇示してゐたし、三厩以南の各部落、殊にも三厩、今別などに到つては瀟洒たる海港の明るい雰囲気の中に落ちつき払つた生活を展開して見せてくれてゐたのである...
太宰治 「津軽」
...三厩の古称...
太宰治 「津軽」
...三厩泊りかな?」「それがいいでせう...
太宰治 「津軽」
...三厩までだつたら歩いて...
太宰治 「津軽」
...それからまつすぐに三厩まで歩いて行つてしまはう...
太宰治 「津軽」
...三厩までお供させていただきます...
太宰治 「津軽」
...三厩の宿へ行つて...
太宰治 「津軽」
...これから三厩まで行けるかどうか...
太宰治 「津軽」
...三厩の宿に着いた時には...
太宰治 「津軽」
...三厩の酒の酔ひが醒めて来たのである...
太宰治 「津軽」
...三厩で昼食をとり...
太宰治 「津軽」
...津軽の三厩(みうまや)まで...
久生十蘭 「奥の海」
...無事に津軽の果てに行き着いても、三厩のあたり、としか聞いていないので、知嘉姫にめぐりあえるのかどうか、それさえも不明である...
久生十蘭 「奥の海」
...もっとも、口書をとって盛岡へ送り、御用部屋へおさまるまでには、早くとも三日はかかる」川村孫助は、津軽の三厩から、松前まで半日の船旅にすぎないから、逃げ足の早いやつなら三日もあれば蝦夷の奥までも行けるだろう、という意味のことを言っているのだが、金十郎には通じなかったらしい...
久生十蘭 「奥の海」
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