...阿波鳴門順礼歌(あはのなるとじゅんれいうた)ふる里(さと)をはる/″\こヽに紀三井寺(きみいでら)花(はな)の都(みやこ)も近(ちか)くなるらん「お鶴(つる)は死(しな)ないんですねえ...
竹久夢二 「桜さく島」
...三井寺にて夕月夜うみ少しある木の間かな俳諧勧進帳 奉加乞食路通いね/\と人にいはれつ年の暮草臥て烏行くなり雪ぐもり草枕虻を押へて寝覚めけり┌五句三十一音...
種田山頭火 「其中日記」
...三井寺の鐘が耳許(みみもと)に響き...
中里介山 「大菩薩峠」
...「三井寺では子役が居ないのですかといふ聲が余の耳もとで聞えたので振りかへると余の側に立つて居た一人が相手に噺をしかけたのである...
長塚節 「佐渡が島」
...院々といふのは叡山(えいざん)か三井寺(みいでら)かのやうな感じがするけれど...
正岡子規 「病牀六尺」
...秀郷都に帰つて、後この絹を切つて使ふに更に尽くる事なし、俵は中なる納物(いれもの)を、取れども/\尽きざりける間、財宝倉に満ちて、衣裳身に余れり、故にその名を、俵藤太とはいひけるなり、これは産業の財(たから)なればとて、これを倉廩(そうりん)に収む、鐘は梵砌(ぼんぜい)の物なればとて、三井寺へこれを奉る、文保(ぶんぽう)二年、三井寺炎上の時、この鐘を山門へ取り寄せて、朝夕これを撞きけるに、あへて少しも鳴らざりける間、山法師ども、悪(にく)し、その義ならば鳴るやうに撞けとて、鐘木(しもく)を大きに拵へて、二、三十人立ち掛りて、破(わ)れよとぞ撞きたりける、その時この鐘、海鯨(くじら)の吼(ほ)ゆる声を出して、三井寺へ往(ゆ)かふとぞ鳴いたりける、山徒いよ/\これを悪(にく)みて、無動寺(むどうじ)の上よりして、数千丈高き岩の上をば、転(ころ)ばかしたりける間、この鐘微塵(みじん)に砕けにけり、今は何の用にか立つべきとて、そのわれを取り集めて、本寺へぞ送りける、ある時一尺ばかりなる小蛇来つて、この鐘を尾を以て扣(たた)きたりけるが、一夜の内にまた本の鐘になつて、疵(きず)付ける所一(ひと)つもなかりけり云々...
南方熊楠 「十二支考」
...若い時三井寺で件(くだん)の鐘を見たるに※裂筋あり...
南方熊楠 「十二支考」
...一と目三井寺焦(こが)るる胸を主(ぬし)は察して晩(くれ)の鐘と...
南方熊楠 「十二支考」
...和歌山から程近い紀三井寺のオコナイも...
柳田国男 「年中行事覚書」
...「三井寺(みいでら)」ツレ等が四五番あったと思うが...
夢野久作 「梅津只圓翁伝」
...三井寺の甍(いらか)へも恟々(きょうきょう)と気をくばりながら...
吉川英治 「私本太平記」
...すなわち三井寺の炎上を見たのはこの日のことである...
吉川英治 「私本太平記」
...――先に細川定禅の軍を三井寺へやっておいたのも...
吉川英治 「私本太平記」
...三井寺衆徒のうちには...
吉川英治 「私本太平記」
...三井寺の失墜などは...
吉川英治 「私本太平記」
...その夜は三井寺(みいでら)の房(ぼう)に一泊し...
吉川英治 「新書太閤記」
...三井寺の裏山から八詠楼(えいろう)のある尾蔵寺坂(びぞうじざか)にかかって来たが...
吉川英治 「宮本武蔵」
...三井寺から大津へ抜けて見ましょう」独(ひと)り語(ごと)に...
吉川英治 「牢獄の花嫁」
便利!手書き漢字入力検索