...明治の初年には此地に弘前・黒石・八戸・七戸(シチノヘ)および斗南(トナミ)の五藩ありしが...
太宰治 「津軽」
...二三年来二十七戸の内で馬を飼う家が三軒出来た...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...私共が村入当時二十七戸の粕谷が...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...馬は既に名産の一つになつて居り、閉伊郡大澤牧、糖部郡七戸牧、同宇曾利郷中濱御牧等は、牧場として其名上方にも聞えた事であるが、さて馬の外に名産として算ふに足る程のものがあつたとも見えぬ...
原勝郎 「日本史上の奧州」
...七戸(しちのえ)の藩中に...
久生十蘭 「奥の海」
...七戸丸は五日ばかり海に出ていて...
久生十蘭 「奥の海」
...七戸領は盛岡二十万石の内証分で...
久生十蘭 「奥の海」
...七戸では藩政を監査し...
久生十蘭 「奥の海」
...七戸から北は、砂丘まじりの地表が茫漠とひろがり、屋根に石を載せた暗ぼったい家が、二里に三軒、三里に二軒というぐあいにバラ撒かれ、そのむこうに錆色の荒くれた海が見える...
久生十蘭 「ボニン島物語」
...「あちらの四十三戸と合せての八十七戸か...
本庄陸男 「石狩川」
...青森県七戸(しちのへ)辺りではコイを沢山飼っているが...
武者金吉 「地震なまず」
...しかし水上に跳ねることはなかった(七戸小学校長北川喜三郎氏報)...
武者金吉 「地震なまず」
...宿屋(やどや)は七戸のみ...
森鴎外 「みちの記」
...特に七戸(しちのへ)や八戸(はちのへ)地方に多く見受けます...
柳宗悦 「手仕事の日本」
...七戸(しちのへ)から八戸(はちのへ)あたりに栄えたもので...
柳宗悦 「手仕事の日本」
...かつて奥州七戸(しちのへ)辺の実例について調査をせられたことがあった...
柳田国男 「山の人生」
...すなわち正一位においては一町すなわち七戸半...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...十四町すなわち七戸が賜田一町に匹敵するのである...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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