...二十七戸の粕谷でも...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...唯二十七戸の小村で...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...馬は既に名産の一つになつて居り、閉伊郡大澤牧、糖部郡七戸牧、同宇曾利郷中濱御牧等は、牧場として其名上方にも聞えた事であるが、さて馬の外に名産として算ふに足る程のものがあつたとも見えぬ...
原勝郎 「日本史上の奧州」
...沼尻で七戸藩の藩船の冬の船溜(ふなだまり)になっている...
久生十蘭 「奥の海」
...九月の中旬、七戸丸の船頭が、「棚(たな)(舷)を締めさせてもらいたい」と言いにきた...
久生十蘭 「奥の海」
...七戸領は盛岡二十万石の内証分で...
久生十蘭 「奥の海」
...七戸では藩政を監査し...
久生十蘭 「奥の海」
...南部領、盛岡の城下から東南、南部米の米所で作毛三分二厘五毛、西の方、山つづきの場所は青立(あおだち)も見られず、七戸以北、北郡一帯は稗、粟もない...
久生十蘭 「ボニン島物語」
...七戸から北は、砂丘まじりの地表が茫漠とひろがり、屋根に石を載せた暗ぼったい家が、二里に三軒、三里に二軒というぐあいにバラ撒かれ、そのむこうに錆色の荒くれた海が見える...
久生十蘭 「ボニン島物語」
...白河の家中片倉小十郎の旧臣百五十七戸が引きうつってまいります...
本庄陸男 「石狩川」
...「あちらの四十三戸と合せての八十七戸か...
本庄陸男 「石狩川」
...しかし水上に跳ねることはなかった(七戸小学校長北川喜三郎氏報)...
武者金吉 「地震なまず」
...宿屋(やどや)は七戸のみ...
森鴎外 「みちの記」
...七戸(しちのへ)から八戸(はちのへ)あたりに栄えたもので...
柳宗悦 「手仕事の日本」
...民家もと七戸、今は十戸あり、一家に数夫婦共に住む...
柳田国男 「海上の道」
...かつて奥州七戸(しちのへ)辺の実例について調査をせられたことがあった...
柳田国男 「山の人生」
...土蔵の数も七戸前...
夢野久作 「狂歌師赤猪口兵衛」
...十四町すなわち七戸が賜田一町に匹敵するのである...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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