...(丁卯の年八月十五日崩りたまひき...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...廿九日、丁卯、兵衛尉清綱、昨日京都より下著し、今日御所に参る、是随分の有職なり、仍つて将軍家御対面有り、清綱相伝の物と称して、古今和歌集一部を進ぜしむ、左金吾基俊書かしむるの由之を申す、先達の筆跡なり、已に末代の重宝と謂ひつ可し、殊に御感有り、又当時洛中の事を尋ね問はしめ給ふ...
太宰治 「右大臣実朝」
...十一日、丁卯、晴、寅刻大地震、未剋又少し動ず...
太宰治 「右大臣実朝」
...廿七日、丁卯、晴、陰、将軍家大将に任ぜられ給ふの間、御拝賀の為、鶴岳宮に参り給ふ、早旦行村の奉として、御拝賀有る可きの由を、下向の雲客等に触れ申す、申の斜に其儀有り...
太宰治 「右大臣実朝」
...文化四丁卯(ていぼう)の歳創製する所という)を創成せしより以来...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...其後文化四年丁卯と十年癸酉とに春水は又待遇を改められた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...状に「丁卯加禄卅石...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...丁卯の春徳見堂に訪はれた作との間に介(はさ)まつてゐる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...わたくしは姑(しばら)く長崎明倫堂の丁卯春の釈奠は中丁を以てしたものと定める...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...森枳園(きゑん)の手迹と覚しき文字で文化四年丁卯以後と朱書してある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...丁卯三月に霞亭は茨曾根にゐた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...正方の死は藤陰舎遺稿丁卯の詩題にも「十一月廿二日公上不諱」と書してある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...丁卯には五十八歳であつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「東春日長陽陽春丁卯の五艦函館港に向ふ...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...四年丁卯 平八郎十五歳...
森鴎外 「大塩平八郎」
...丁卯(ひのとう)三月南窓下偶書...
森鴎外 「津下四郎左衛門」
...丁卯は慶応三年である...
森鴎外 「津下四郎左衛門」
...三 弥勒二年丁卯問題の中心とすべき点は...
柳田国男 「海上の道」
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