...その政府はイスラム教の政府なり...
井上円了 「欧米各国 政教日記」
...その六はイスラム教...
井上円了 「欧米各国 政教日記」
...仏教徒 百六十九万八千七十人バラモン教徒 四十九万三千六百三十人イスラム教徒 十九万七千七百七十五人ヤソ教徒 十四万七千九百七十七人第二八二...
井上円了 「欧米各国 政教日記」
...ユダヤ教およびイスラム教はヤソ教の仇敵なり...
井上円了 「欧米各国 政教日記」
...この点で教会の行為をムーア人(イスラム教徒)のより賢く人間的な行為と比べると教会は恥じなければならない...
ジェイムズ・サンヅ・エリオット James Sands Elliott 水上茂樹訳 「ギリシャおよびローマ医学の概観」
...アッバース朝カリフたち(イスラムの初期元首)の治世下になってもインド医師はペルシャで有名であり...
マクス・ノイバーガー Max Neuburger 水上茂樹訳 「医学の歴史」
...68けがれ――イスラム教は酒をけがれあるものとして禁じている...
オマル・ハイヤーム 'Umar Khaiyam 小川亮作訳 「ルバイヤート」
...黒人国イスラム王国の文化の中心になっているトンブゥクツーという学問の都があって...
久生十蘭 「新西遊記」
...(むしろイスラム教の天使の形姿に近いと云へるかも知れません...
ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳 「ドゥイノ悲歌」
...しかしスペインに於けるイスラムの支配はこの後永い間続くのである...
和辻哲郎 「鎖国」
...スペインに尖端を置くイスラムの文化が遙かに高い段階に達していたことを見のがしてはならぬ...
和辻哲郎 「鎖国」
...元来イスラムは東方のローマ属州を占領すると共にそこに残存したギリシア文化を熱心に吸収した...
和辻哲郎 「鎖国」
...九世紀に至ってイスラムの帝国が分裂したことも文化の華のためには好都合であった...
和辻哲郎 「鎖国」
...イスラムに征服せられたローマ帝国の版図を奪回しようとして企てられたのではない...
和辻哲郎 「鎖国」
...前篇 世界的視圏の成立過程第一章 東方への視界拡大の運動一 東方への衝動・マルコ・ポーロとその後継者東方イスラムの世界との対峙を通じて形成せられて来たヨーロッパの世界が...
和辻哲郎 「鎖国」
...正面の敵であるイスラムの世界を遙かに東方の背後から圧迫してくれる蒙古人の勢力は...
和辻哲郎 「鎖国」
...このキリスト教国を探し出してイスラム帝国を挾み撃ちにするのもまた西欧人の強い希望であった...
和辻哲郎 「鎖国」
...もしこれらの諸王がイスラムに対する怒りを捨てなければ...
和辻哲郎 「鎖国」
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