...仏教徒 百六十九万八千七十人バラモン教徒 四十九万三千六百三十人イスラム教徒 十九万七千七百七十五人ヤソ教徒 十四万七千九百七十七人第二八二...
井上円了 「欧米各国 政教日記」
...アッバース朝カリフたち(イスラムの初期元首)の治世下になってもインド医師はペルシャで有名であり...
マクス・ノイバーガー Max Neuburger 水上茂樹訳 「医学の歴史」
...26人の所業を書き入れる筆もくたびれて――イスラム教徒の信仰によると...
オマル・ハイヤーム 'Umar Khaiyam 小川亮作訳 「ルバイヤート」
...イスラム教以前のイランの宗教は拝火教であった...
オマル・ハイヤーム 'Umar Khaiyam 小川亮作訳 「ルバイヤート」
...しかしそれはイスラム教徒にイランが征服されてから後は邪教として擯斥(ひんせき)された...
オマル・ハイヤーム 'Umar Khaiyam 小川亮作訳 「ルバイヤート」
...104イスラム――回教とも言う...
オマル・ハイヤーム 'Umar Khaiyam 小川亮作訳 「ルバイヤート」
...黒人国イスラム王国の文化の中心になっているトンブゥクツーという学問の都があって...
久生十蘭 「新西遊記」
...アフリカのイスラム王国と西蔵ということになった...
久生十蘭 「新西遊記」
...アフリカの高い文化はすべてイスラムに帰因するという迷信が支配していた...
和辻哲郎 「アフリカの文化」
...その頃からイスラムの内に持続的な分裂が引き起されたのである...
和辻哲郎 「鎖国」
...スペインに尖端を置くイスラムの文化が遙かに高い段階に達していたことを見のがしてはならぬ...
和辻哲郎 「鎖国」
...イスラムによって解放され...
和辻哲郎 「鎖国」
...九世紀に至ってイスラムの帝国が分裂したことも文化の華のためには好都合であった...
和辻哲郎 「鎖国」
...しかし右の統一はイスラムの文化圏とシナの文化圏との統一にほかならず...
和辻哲郎 「鎖国」
...正面の敵であるイスラムの世界を遙かに東方の背後から圧迫してくれる蒙古人の勢力は...
和辻哲郎 「鎖国」
...このキリスト教国を探し出してイスラム帝国を挾み撃ちにするのもまた西欧人の強い希望であった...
和辻哲郎 「鎖国」
...既に数世紀来イスラムは西方に於て絶えず反撃をうけ...
和辻哲郎 「鎖国」
...イスラムの神が全然救う力のないことを実証した如きその一つである...
和辻哲郎 「鎖国」
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